2013年7月26日

アウグスティヌスの自由論

 

※大学の授業で提出するレポートとして書いたものなので、参考程度にはなると思いますが、本格的に勉強するには不十分です。詳しいことが知りたい方はご自分でお調べください。

 

 

アウグスティヌスは、プラトン思想に基づいてキリスト教哲学を体系化した人物である。

 

彼は若い頃マニ教を信仰していたが、32歳の時に回信し、敬虔なキリスト教徒となった。

光と闇、善と悪の二元論を特徴とするマニ教は、世界を創造したのは狂ったデミウルゴスであるとしており、悪の起源についてキリスト教より合理的に答えることができた。

しかし、闇(肉体的なもの)を遠ざけて光(精神的なもの)の部分で生きるというマニ教の教義は、女性関係に悩むアウグスティヌスに「自分は救われないのではないか」という恐怖を抱かせた。

 

そんな時、キリスト教の大司祭アンブロシウスの説教を聞いた彼は、「全知全能の唯一神が世界を創った」と考えるキリスト教に回信する。

おそらく、神はあらかじめ誰が何をするか知っていながらこの世界を創ったのだと考えることで、「神は私が罪を犯すことを知っていながら私をこの世に生み出したのだから、そこには何か正当な意味があるはずだ(だから私にも救われる可能性があるはずだ)」と信じることができたのだろう。

 

アウグスティヌスは、キリスト教を信じることにより、新たな問題にぶつかった。

それは、すべてが「神の世界計画」の通りに進められているなら、人間の自由意志はどこにあるのか、という問題である。

 

『秩序論』の中で、彼は万物を次のように位階づけている。

まず、神、天使、人間は理性的な存在として「超自然」に位置づけられる。純然たる理性的な存在である神に対し、天使は形相(フォルマ、形)を持ち、人間は形相に加えて質料(マテリア、量)と、そこから生まれる感覚を持つ。

次に、動物、植物、無生物は理性を持たない「自然」に位置づけられる。

 

注目すべきは、人間が自然を超越した存在として位置づけられているという点である。

「神の世界計画」は、理性を持たない自然においては因果決定的必然性(自然法則、科学法則)となり、理性的な存在である人間においては観念的当為規範(義務)となるというのが、アウグスティヌスの考えだったのだ。


人間は機械のように「神の世界計画」に操作されるのではなく、自らの意志で「神の世界計画」という道徳規範に従うことができる。動植物とは違い、神の意志「への自由」を持っているのである。

 

アウグスティヌスは、神の命令に積極的に従うことが真の自由であるという結論に達した。

 

 

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