2012年11月20日

親鸞の言葉を分かりやすくまとめてみました。

歎異抄 第一条~第十条 要約

 

※歎異抄(たんにしょう)

浄土真宗の開祖・親鸞の思想を正しく伝える目的で書かれた書。(歎異とは、親鸞の教えに反する異議が存在していることを嘆いて書いたという意味)

弟子の唯円が書いたと推測されている。

前半部である第一条~第十条は、親鸞語録となっている。

 

※阿弥陀の本願

阿弥陀仏は、「念仏を唱えるだけで極楽浄土に往生させます」と宣言した。

念仏についてはこちら参照。(別窓で開きます)

 

 

第一条:

誰でも平等に、信心(念仏)さえあれば阿弥陀に救われます。念仏に優る善はなく、阿弥陀の本願を妨げるほどの悪もありません。

 

第二条:

私は本当に、念仏以外に往生する術を知りません。善人にはなり得ない凡愚である私は、念仏で往生できないなら何をやっても地獄行きなので、法然上人に騙されているのだとしても後悔はしません。しかし、阿弥陀の本願が真実なら、念仏のみで救われるというのも真実でしょう。

 

第三条:

善人なほもつて往生を遂ぐ。いはんや、悪人をや。

(阿弥陀の本願は悪人を救うためにこそ立てられました。阿弥陀の力を借りない自力作善の人でさえ往生を遂げるというなら、ましてや絶大なる阿弥陀の力によってすくい上げられる悪人が往生できないはずがありません)
※と言っても、末法の世においては自力作善ができる人など存在し得ないので、善人というのは悪人との対比で引き合いに出された仮の存在だと思われる。また、親鸞においては善行も悪行も前世からの宿業によるものなので、その意味でも自力作善はあり得ない。

 → 参考ページ:親鸞における「悪」 (別窓で開きます)

 

第四条:

無力な人間の自力では、どれほど他者を救いたいと思っても難しいものです。急がば回れ、まずは念仏を唱えて早く成仏しましょう。それからいまだ救われていない衆生を助けましょう。

 

第五条:

すべての生物は何度も生まれ変わる間に皆家族となっているので、私は来世で仏となり皆を救います。

この世では自力で両親を供養することもできないので、まずは他力によってすみやかに浄土に参りたいと思います。

 

第六条:

私は一人も弟子を持ちません。人が念仏を唱えるのは私の教えによってではなく、阿弥陀のはからいのおかげだからです。

 

第七条:

どんな悪もどんな善も念仏の力には及ばないので、念仏をする人は何ものにも妨げられることがありません。

 

第八条:

人が念仏をするのはひとえに阿弥陀のお力によるもの(他力)なので、自力の修行でも、自力の善でもありません。念仏者自身には何の功績もないので非行・非善と言えます。

 

第九条:

死にたくないために浄土に行きたいと思えず、往生を喜べないのは、私たちが煩悩にまみれているせいです。しかしそのような凡愚をこそ阿弥陀は救ってくださるので、必ずやってくる死の先には極楽浄土への往生が定まっているのだと、むしろ心強く信じることができます。

 

第十条:

阿弥陀の働きや慈悲深さ、そこから生まれた念仏と往生の仕組みは、我々凡夫には理解できないものなので、どうして念仏だけで往生できるのかなどと考えず、ひたすら阿弥陀の本願を信じてすがることを念仏の本義とします。

 

 

親鸞の考え方は、「人間は自力では善・正に到達できない」「誰でも念仏だけで救われる」「駄目な奴ほど阿弥陀が救済措置をしてくれる」の3点が徹底していて好感が持てます。

仏や善悪が実在するかどうかは別として、信仰に矛盾がないのはいいですね。

 

矛盾のある信仰については、別の記事を書きました。

→ 「創造神が完全無欠の善なら、この世に悪はない

 

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