神の子


 頬に雪が当たって、あっけなく溶解した。
 僕は無意識に天を仰ぐ。社会人になってから、二度目の初雪だ。
 まだクリスマスも来ていないのに初雪が降るなんて、この辺りでは珍しい。
 記憶にある限りでは、こんな事は今までに一度しかなかった。
 忘れもしない。
 十二年前。
 僕が自殺しようとした日。
 そして――楚原鏡子とデートした日。

 

 

 楚原鏡子は転校生だった。
 小学六年二学期の途中、季節外れの時期に、彼女はやってきたのだ。
 その日の朝、僕のクラスは新しいクラスメートの噂で沸き立っていた。もっとも、僕はその頃人と関わりを持たないようにしていたから、教室の隅で本を読みながら、耳障りな女子の声を聞き流していた。僕にとっては、転校生が男だろうが女だろうが、地球人だろうが宇宙人だろうが関係なかった。
 やがてチャイムが鳴った。熱の冷めない生徒達は雑談を続けたが、引き戸の音がして、先生が入ってくると、さすがに口を閉じた。
「みんな知ってるとおり、今日はクラスに転校生が来ます」
 先生の事はよく覚えていないが、恐らくそのような当たり障りのない事を言ったのだろう。とにかく、転校生入室の瞬間だけは鮮明に覚えている。
 僕は最初、無関心を決め込んで読書していたが、クラスのざわめきで顔を上げた。
 転校生は、常人のなりをしていなかった。
 やや癖のある黒髪を腰まで伸ばして、黒を基調にしたファッションに身を包む彼女は、さながら漫画の登場人物のようだった。
 漫画の登場人物の「真似をしているよう」に見えるのとは違う。というのはつまり、そのまま漫画の世界に飛び込んでも溶け込んでしまいそうなほど、彼女は美しい顔立ちをしていたのだ。どんなに漫画が好きでも、顔までは真似できない。
 初めて会う集団を前にして、楚原鏡子は悠然とそこに存在していた。その眼差しは、自分がそこにいるのは当然であるという事を、皆に知らしめているように思えた。
 楚原鏡子は、真新しい空間を、あっという間に彼女の色に染め上げた。


 彼女の自己紹介もまた、衝撃的なものだった。
「僕の名前は楚原鏡子」
 少年的な響きを持つ凛とした美声で、彼女は強烈な印象をクラスに刻みつけた。
「仲良くしてくれとは言わない。誰と友達になるかは、僕が選ぶ」
 そして楚原鏡子は、おろおろする先生を無視して、教室中を徘徊し始めた。まるで、品定めをするかのように、クラスメートの目を覗き込む。彼女が近づいてきたので、僕は慌てて目を逸らしたが、一瞬だけ目が合ってしまった。曇りのない、きらきらした瞳だった。
 彼女は微笑んで、僕の机に手を突いた。
「君」
 僕は気づかないふりをした。
「君、何て名前?」
 楚原鏡子の一切を僕の世界から排除すべく、僕は本のページを捲った。
 暫時、重苦しい静寂が教室を支配した。明らかにクラス中が、僕に「早く答えろ」と要求していた。
 僕はとうとう耐えられなくなり、喉から絞り出すようにして呟いた。
「取手澄人」
 たったそれだけなのに、楚原鏡子は満足げに頷いた。
「君は今日から僕の友達だ。よろしく」
 抗議の言葉を発しようとして、僕は口をつぐんだ。
 見上げた彼女の笑顔が、あまりに美しかったから。
 こうして、僕は強制的に彼女の友達にされてしまった。


 楚原鏡子は、僕以外の人間とコンタクトを取ろうとしなかった。
 リーダー格の女子が彼女の身なりを問いただしても、意に介さないようだった。
「その髪、せめて縛ったら?」
「そんな規則はない」
「服装も、もうちょっと落ち着いたのにしてくれない? 前の学校ではそれで良かったかも知れないけど」
「ただ黒いだけ。華美じゃない」
「でもさ、周り見てみなよ。そんな人いないよ」
「僕は人と同じになろうとは思わない」
「前から訊きたかったんだけど、何で『僕』なの?」
「この学校は一人称まで制限するの?」
 ここまで来ると、その女子も「もういいよ」などと言って去っていった。それ以来、クラスでは、楚原鏡子には接触しない事が暗黙の了解となった。
 彼女が来るまでは、僕も、他人とは関わりを持たないように心がけていた。下賎な大衆と交わっていては自分まで愚かな流行に乗せられてしまいそうで、怖かった。僕は誰も必要としない自分に誇りを持っていた。「友情」「絆」「信頼」、そんな言葉は大人が子供に使う洗脳の呪文だ。そうして、連帯性を持って働く都合の良い社会人を生産するのが目的なのだ。
 しかし、今までは僕が黙ってさえいれば誰も接触してこなかったが、楚原鏡子は能動的に働きかけてくる。僕はそのうち、そのコンタクトに応じるようになっていった。
「澄人は、何色が好き?」
「……白」
「どうして?」
「何にも染まってないから、かな」
「そう。僕は黒が好きなんだ」
「ふうん」
「黒は何ものにも染められない。黒は黒のままだから」
 他愛もない会話だったが、不快ではなった。人との会話を避けていた僕には、新鮮な発見だった。お互いの心を共有する事が、こんなに心地良いなんて……。
 声をかければ、彼女が振り向いてくれる。
 少しおどけて見せれば、彼女が笑ってくれる。
 彼女がいる事によって、僕がここにいる事が認可される。そんな安心感を覚えた。
 だがある日、それは変化への恐怖に変わった。
 僕もその辺の一般人と同じように、誰かに自分を必要としてほしいと願っていたのだと気づいてしまったのだ。
 僕はその日から、楚原鏡子と口を利かなくなった。


 僕は元通り、相互不干渉の生活へと戻った。
 楚原鏡子は相変わらずクラスと馴染もうとはせず、執拗に僕にコンタクトを求めてきた。それでも僕が応じないと分かると、悲しみを表現するわけでもなく、意外と素直に手を引いた。それまで僕と話をしていた休み時間には、教室から姿を消すようになった。彼女がどうしているか、全く気にならなかったと言えば嘘になるが、普段の彼女の言動を見ていると、彼女なら独りでも淋しくないような気がした。
 きっと、彼女が欲していたのは僕ではない。
 僕も、淋しくなどなかった。
 僕には、楚原鏡子と出会うずっと前から、崇高な計画があったのだ。


 二学期の最後の日、初雪が降った。
 僕は家族にも告げず普段より一時間も早く家を出て、学校へと向かった。ランドセルは持たなかった。
 僕は内心、灰色の世界を颯爽と駆け抜ける自分をかっこいいと思った。無機質に響く足音、感情的に高ぶる鼓動、ぴりぴりと張り詰めた冬の空気……。それら全てが僕の脳内で美化され、自分が物語の主人公であるかのような錯覚を作り上げた。
 僕は学校に着くと、誰もいない廊下を抜けて、非常階段をゆっくり昇っていった。程なく緑色の扉が見えてきた。僕はそのドアノブに手をかける。前調べた通り、鍵はかかっていなかった。
 僕は屋上へ出た。扉を閉めて、端の方まで歩いていく。
 床がなくなるところまで来ると、柵の前に立って、空を仰いだ。
 僕は自殺しようとしていた。
 死ねば、くだらない馴れ合いの世から旅立ち、自分だけの世界に行けるような気がしていた。
 自分の思考、いわゆる魂が消滅してしまう可能性もあった。だが、それはそれでいいと思った。
 この世界が存在する事、僕が存在する事。それらに意味はない。生まれてしまったから、存在しているだけ。
 だから僕は、意味のない自分を消去する。
 僕は柵に手をかけた。
「おはよう」
 突然の挨拶に驚いて、僕は柵から手を離した。
 振り向くと、そこには楚原鏡子がいた。
「初雪だね」
 彼女は僕の隣りに立って、曇天を見上げた。
 仕方がないので、僕は今自分がしようとしていた事をごまかす事にした。
「俺は、ほら、普段からここに来て外の空気を吸ってるんだけどさ。お前何でここにいるんだよ」
 すると、彼女は笑いながら答えた。
「奇遇だね。僕もこうやって毎朝屋上に来て、外の空気を吸ってるんだ。休み時間も。何で会わなかったんだろうね」
「……そうか」
 彼女はしばらく虚空を見つめてから、ぽつりと言った。
「何自殺しようとしてるの?」
 その口調は、非難する風でもなく、ただ訊いてみただけといった感じだった。
「お前が来る前から、初雪の日に、って決めてた。いいだろう、僕の命なんだから」
「良くないよ。君の体は、無数の動植物の命をもらって生きているんだ。ここで死んだら、食べられた生き物は何のために死んだんだ?」
「そんなお説教は聞きたくないね」
「だろうね。じゃあ、率直に言うけど」
 楚原鏡子は僕を見据えた。僕は顔を背けたが、彼女の強い眼差しが僕の脳に直接訴えかけてくる。
「君に死ぬ権利はない。なぜなら、そんな権利は僕が与えていないからだ」
 正直、そんな滅茶苦茶な論法はないと思った。
「僕が君にいてほしいと思っているのに、それに逆らうなんて許されない。例え君がこの世の全てに興味を失っても、君は僕のために生き続けなければならない」
「じゃあ何だ、俺はお前の思い通りに死んだり生きたりするのか」
「そうだ」
 楚原鏡子は真剣に、自己中心的な意見を論じていた。彼女の中では、それが正論なのだ。そこで僕はふと、思わず彼女の方を向いている自分に気づき、再び目線を空へと戻した。
「お前が存在してほしいと思ってるのは俺じゃない。お前を認めてくれる友達だろ。俺である必要は無かったんじゃないのか?」
 楚原鏡子はその問いには答えなかった。その代わりに、突拍子もない事を口走った。
「デートしようか」


 小学生のデートなんて大した事はない。
 二人とも手ぶらだったし、むしろランドセルなど持っていたら警察に補導されてしまう。鏡子に荷物はどうしたのかと訊けば、教室のロッカーの中に置いてきたそうだ。こうして僕達は、せわしなく蠢く凡人だらけの街へと繰り出した。
 小学校から一キロほど離れたところで、女子高生の集団が珍しそうにこちらを見ており、学校に連絡されるかも知れないと危惧したが、結局何もせず、小声で喋ったり頷いたりしながら通り過ぎていった。
「あの人たち、自分から世界を変えようとはしないんだ」
 ふいに鏡子が口にした言葉に、僕は苦笑した。
「何を突然大げさな」
「みんな同じスカートの長さで、同じようなカーディガン着て、それもはみ出し具合が決まってて、靴下は膝下まである紺色、髪型には最近の流行を取り入れて、みんな同じトーンで喋る……。『浮かないように』」
「まあ、校則ってもんがあるから、しょうがないだろ」
 そう言いながら、彼女の意見に賛同する僕がいた。それは、僕の反俗精神に通じるところがあった。理解の言葉をかけてやろうと思って振り返り、僕はどきりとした。
「怖い」
 鏡子は俯いていた。
「僕はもう少しで中学生になる。中学校には制服があって、規則からはみ出たものを狭苦しい規律の中に押し込める機構が出来上がっている」
 表情は髪で隠れて読み取れなかったが、初めて見る、弱々しい姿だった。
「社会は学校で、協調性のある労働者を生産しているんだ」
 僕はその言葉に既視感を覚えながらも、ただおろおろするばかりで、何も言ってやれなかった。
「中学校を卒業する頃には……僕は社会に飼い慣らされた、ただの女になっているかも知れない」
 突然鏡子は勢いよく顔を上げて、勝ち気な瞳で僕を見た。整った顔に、満面の笑みを浮かべて。
「怖いね! さあ、デートの続きだ」


 僕達は一日中、白い息を吐きながら街を練り歩いた。ただ歩いて話すだけのデートだった。昼食も無かった。それでも、体育館で校長先生の催眠術にかかっているよりは、ずっと有意義だと思えた。
 雪は降ったり止んだりしていたが、夕方になると空も大分晴れて、かすかな氷の粒がはらりはらりと落ちてくるだけになった。
 僕達は小高い丘から街を見下ろす形で、芝生の乾いたところに座っていた。
「僕はね、神様になるんだ」
 また鏡子が突拍子もない事を言い放った。彼女は街を見つめたままだった。それに倣い、僕も前を向いて聞いた。
「神様になって、みんなが自分でいられる世界を創る。僕は世界を変える。
 だから僕にとっては、僕が僕である事が最優先事項なんだ。僕はそのために友達を我慢した。
 さっき、君言ったよね。
 僕がほしいのは僕を認めてくれる友達だろ、って。それ正解だよ。
 ……本当は、誰かに認めてほしかった。
 でも、自然体の僕を受け入れてくれる人なんていなかった。
 普通の女子を演じて友達を作ってみた事もあったけど、彼らは僕が演じた人格の友達であって、僕の友達じゃなかった」
「じゃあ何で俺を友達にしたんだ?」
 僕は下を向いて芝をいじりながら、ずっと心の奥でくすぶっていた疑問をぶつけた。隣で、彼女が笑ったような気がした。
「君だけは、嫌悪で染まった目で僕を見なかった。『俺である必要は無かったんじゃないのか』、それは愚問だね。君しかいないんだ、僕の友達は」
 やや間を置いて、鏡子は続けた。
「でも、君がそう感じたなら」
 ざあっと風が吹き、木々が揺れた。僕は、遠くで彼女の声を聞いた。
「僕は、君の友達にはなれなかったんだね」
 そんな事はないと言おうとして振り向き、僕は胸が詰まる思いをした。
 最後の雪が乾いた唇に舞い降りて、すっと吸い込まれていく。
 楚原鏡子は消えていた。

 

 

 それ以来、彼女とは会っていない。
 というのも、楚原鏡子は二学期の終業日の前日付で転校届けを出していたのだ。冬休みの間に引っ越してしまい、僕がそれを知ったのは、三学期が明けてからだった。 
 世界は相変わらず奇人に厳しい。
 僕は俗に染まり、社会に飼い慣らされている。しかも恐ろしい事に、今の僕はそれも悪くないと思っている。
 今頃彼女はどうしているだろう。
 もしかしたら、中学校の社会人生産システムによって彼女の中の「楚原鏡子」は抹殺され、ごく普通の女性になっているかも知れない。
 それを認めたくない僕は、切望し、憧憬し、心の奥底に偶像を描いてしまう。

 

――楚原鏡子という名の神様を。

 

 

中二病な小学生を愛でるお話でした。

 

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