※一介の大学生が授業で作成した発表レジュメです。

この文章を「参考文献」にしたり「引用元」にしたりしても、あなたの論文の信頼性を高めることはできません。ご注意ください。

ただ、一番最後にある参考文献一覧を見れば、参考になる文献が見つかるかも知れません。

 

2012年1月12日 公開

2013年5月1日 修正加筆

親鸞の生涯

 

【概略】

西暦 年齢  出来事
 1173年  0歳  誕生
 1181年  9歳  出家
     比叡山延暦寺で修行に励む
 1201年 29歳  法然の門下へ
 1207年 35歳  越後へ流罪となる
     恵信尼と結婚する
 1214年 42歳  常陸国笠間群稲田郷で布教を開始
     関東で6000~10000人の浄土門信者を得る
1224年 52歳  『教行信証』脱稿
1235年頃 63歳頃  帰京
     関東の門弟の間で、教えについて間違った解釈が横行する
     訂正のため、長男の善鸞を関東に送る
     善鸞までもが異説を唱え始める
1256年 84歳  善鸞を義絶(善鸞事件)
1262年 90歳  死去

 

 

【誕生~出家】

 

親鸞は、京都の下級貴族・日野有範の長男として生まれた。
叔父の日野宗業は1180年に平家に対して挙兵した以仁王(もちひとおう)の師だったため、それ以降日野家の人々は平家に目をつけられることになる。親鸞は災難を避けるため1181年に出家した。自らの信念で出家を選んだのではなく、家の事情で受動的に出家させられたのである。

 

 

【比叡山にて】

 

出家から20年間、比叡山延暦寺で厳しい修行に励んでいたことが、妻・恵信尼(えしんに)の手紙(恵信尼文書)から読み取れる。それによると、親鸞は比叡山の横川(よかわ)常行堂で堂僧を務めていた。堂僧は、仲秋十五日の前後一週間、飲食を断ち不断で念仏を唱えなければならないため、徳の高い僧でなければ務まらない。このことから、20年間の修行の厳しさが伺える。


しかし、彼は次第に天台教団に対して疑いの気持ちを持つようになった。教団には、僧侶でありながら武力をもって争う、稚児や遊女を相手に色事に興じる、といった破戒が見られた。また、自分の修行は果たして大乗仏教の理念通り一切衆生を救うことにつながるのだろうか、とも悩んでいた。そんな中で聞いた法然の噂は、親鸞の心を揺さぶった。

 

◆法然(1133 -1212)
浄土宗の開祖。寺院への献金を重視する考えが根強かった天台浄土教から独立し、念仏を唱えさえすれば往生できるという本来の浄土教の教えを日本で確立させた。
親鸞が門下に入ったのは法然が68歳の時。

 


【夢告~法然への弟子入り】

 

1200年、比叡山無動寺大乗院で瞑想をしていた時、親鸞は如意輪観音から夢告を受けた。

 

善いかな 善いかな 汝の願 将(まさ)に満足せんとす
善いかな 善いかな 我が願 亦(また)満足す <注1>
(あなたの願いはもうすぐ叶う。私も同じ考えなので、私の願いもまた叶う)

 

これは「法然に師事すべきではないか」という思いを後押しするものだった。


その翌日から、親鸞は六角堂に100日間こもり、建設者である聖徳太子のお告げを待つ「百日参籠」を始めた。そして95日目、ついに聖徳太子の化身である救世(くせ)観音から夢告があった。

 

行者(ぎょうじゃ)宿報にて設(たと)ひ女犯(にょほん)すとも
我は玉女の身と成りて犯(ほん)せられむ
一生の間能(よ)く荘厳(しょうごん)
臨終引導して極楽に生ぜしめむ <注2>

(例え仏道の修行者が宿業によって戒律を破り、女性と関係を持ったとしても、私が美しい女性の姿で現れて相手になりましょう。前世からの定めで煩悩を抱えていたとしても、一生修行者に寄り添い、臨終の際には導いて極楽浄土に往生させましょう)

 

これは、「煩悩を持つのは前世からの定めであるから、凡夫にできるのは念仏をひたすら唱えて阿弥陀の本願に帰依することだ」という法然及び親鸞の根本思想と合致していた。
このことで親鸞は決心し、比叡山を下りて法然の弟子となった。

 

<注1>伊藤益『親鸞』集英社,2001年,p50

<注2>伊藤益『親鸞』集英社,2001年,p51

 

◆観音菩薩
単体で信仰される他、阿弥陀如来の脇侍(きょうじ)(寺院の本尊の脇に控え、教化を助ける仏像)としても扱われる。救世観音は別名、如意輪観音は変化身(へんげしん)の一つ。

 

◆阿弥陀の本願
阿弥陀如来が立てた四十八願の中のうち、第十八願のこと。
「念仏を唱えるだけで極楽浄土に往生させる」という宣言。
※念仏=南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)=阿弥陀仏を信じてすがります(帰依します)

 

◆宿業
親鸞は、人の行いはどんなに些細なことであれ、善も悪も前世から背負っている宿業によって引き起こされると考えていた。宿業から逃れるすべはなく、進んで悪事を働こうとしても宿業で定められた以上の被害は引き起こせないし、逆にどれだけ善でありたいと思っていても宿業で定められた分だけの悪事を行ってしまう。煩悩も宿業に由来するため、自力では振り払うことができない。
煩悩に苛まれていた親鸞は、「どれほどの業を背負っていても、煩悩を持ったままであっても、助けを求めさえすれば阿弥陀が救ってくれる」という浄土教の教えに救いを見出した。

 


【流罪と結婚】

 

恵信尼の手紙によれば、親鸞の法然への忠実さは、「法然聖人のおいでになる所であればどこへでも、かりにそれが悪道であってもついていこう」<注3>と語るほどであった。しかし、わずか6年で別れの時が来てしまう。

 

<注3>伊藤益『親鸞』集英社,2001年,p54


1205年、興福寺の貞慶(じょうけい)は朝廷に「興福寺奏状」を提出し、法然に活動停止を命じることを依頼した。問題とされたのは、朝廷の許可なく新宗派を立ち上げたこと、釈迦などの偉人を軽んじているように見えること、「悪人こそ救われる」という悪人正機説は犯罪を増長させる恐れがあったことなどである。この時は法然の弟子であり関白でもあった九条兼実らの取り計らいで朝廷からの咎めを受けずに済んだのだが、翌年法然の弟子である住蓮と安楽が後鳥羽上皇の寵愛する女官二名と一晩を共にし、翌日彼女らは出家するという事件が起きた。これに激怒した上皇は、興福寺奏状は正しかったと思い返し、翌1207年、住蓮と安楽を処刑し、法然たち浄土宗徒を流罪とした。

 

この時親鸞は一人越後に流され、法然とは離れ離れになった。越後では親鸞を庇護した地方豪族三善家の娘・恵信尼と結婚し、穏やかな日々を送ったとされる。

 

◆末法思想
正法(しょうぼう)の頃は三法(教・行・証)がそろっていたが、像法(ぞうほう)では証が消滅して悟りを開く者がいなくなり、末法である現在では行が失われて修行者すらいなくなる。
親鸞はこれを信じ、僧であれ一般人であれ悟りを開くことも自力の修行をすることもできないのだから、戒律を守っているようなふりをしても偽善でしかないと考えていた。僧でありながら肉食妻帯をしていたのは、自力作善ができるという思い上がりを捨て、無力な自分には戒律は守れないという事実を受け止めていたためである。

 

 

【関東での布教活動】

 

1211年には勅許により流罪が許された。しかし法然は上京目前にして病死したため、親鸞は二年ほど越後に留まった。その後、妻と四人の子供を連れて常陸国笠間群稲田郷に赴き、そこに建てた草庵を拠点として布教活動を開始する。親鸞の活動の中心は京ではなく関東だったのである。

 

親鸞に直接師事した弟子はおよそ60人、しかもそれぞれが道場と100人ほどの門弟を持っていた。間接的に親鸞には6000~10000人の弟子がいたことになる。当時の日本の人口が500万人であったことを考えると、布教は成功と言える。

 


【帰京後の混乱】

 

63歳頃に親鸞は帰京した。しかし残された関東の門弟たちは、「念仏を唱えるだけで救われる」という教えが単純なあまり、本当はそれとは別に奥義秘伝があるのではないかと疑い始める。また、悪人正機説を誤解して、積極的に悪事を働こうとする者まで現れた。


親鸞は自分の思想が十分に理解されていないことに悲哀を覚えつつ、長男の善鸞を誤解解消に向かわせたが、門弟も善鸞も自分こそが親鸞の教えを理解していると信じて疑わなかったため、対立が深まるばかりだった。
ストレスに晒された善鸞は、やがて「自分は父から奥義を教わった」と吹聴し、浄土真宗において最も重要な阿弥陀の第十八願を軽視するようになる。親鸞は、息子が自分の意志に背いたことを悲しみながら善鸞を義絶した。


1262年に、親鸞は90年の生涯を終えた。門弟にも息子にも理解されなかった彼の死に際は、あまり穏やかではなかったという。

 


【参考文献】

 

伊藤益『親鸞』集英社,2001年
伊藤益『歎異抄論究』北樹出版,2003年

 

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