2012年6月15日

大学の授業のリアクションペーパーの一部を抜粋。

人の「強さ」

 

私の考え方はリヴァタリアンに近いと先生はおっしゃっていましたが、リヴァタリアンも立派に「人は最大限自由である“べきだ”」という信念を持っているので、何の信念もなく「社会は弱肉強食である」と思っている私と同じにしては失礼だと思います。
私の場合は「弱肉強食である“べきだ”」でなく、「弱肉強食に“しかなり得ない”」なので、信念ではないのです。


ここで言う強さとは、人に言うことを聞かせる力です。

個人の、または同じ目標を持つ集団の、武力や知力(説得・洗脳・交渉)や愛される力(容姿・人柄)などの総合力が、人にとっての強さなのだと思います。


武力には人を心の底から従わせる強さがないので、「武力で勝った方が正義」という主張にも強さはなく、人から「正しい」と思われることもありません。しかし、説得力のある主張や感動的なスピーチなど、本当に強いものは人から「正しい」と思われ、人を思いのままに動かします。ヒトラーが好例ではないでしょうか。


絶対的善と一致していて「正しい」から強いのか、強いから多数決的に「正しい」ことになるのか、意見が分かれると思いますが、私は後者であると感じます。

ヒトという生物が「正しい」と感じやすい意見の傾向はありますが、それはヒトが絶滅したとしてもあり続ける絶対普遍の善の存在を証明するものではありません。ヒトの生物的性質に合った意見が「強い」こと、また、ヒトがその意見を正しいということにしていることには、機械的で物理的な運動以外の作用は感じません。

 

 

 

2013年9月15日 追記

殺伐とした話をしているように見えてしまうかも知れませんが、つまりは「愛が最強」ってことなんですよ!

 

殺人が悪とされているのは、人間の気持ちとは関係のない絶対的善悪(人類誕生前も人類滅亡後も変わらずあり続ける、神的な価値)があってそうなってるんじゃなくて、多くの人が「自分や自分の大切な人を殺されたくない、守りたい」と思っているからだと思います。

善悪は人間の主観でしかありません。そしてそれでよいのです。

絶対的善悪なんかなくたって、魂がなくたって、人々の営みがすべて機械的で物理的な運動の一環だったって、僕たちが何かを愛し、それを守ろうとしていることに変わりはありません。

だからそれでいいと、僕は思うのです。

 

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