高校の卒業文集。テーマは「十年後の私」。
笑ってください。
十年の月日にかかれば、若者など容易に全くの別人にされてしまう。実際、十年前の私と今の私は別人だ。体内の水分が数週間かけて入れ替わるように、「私達」も数年かけて徐々に変化し、別人になった。この間私は変化を自覚する事なく、自然に古い自分を捨て、新しい自分に取り換えてきた。
これは大人になるための宿命で、誰もが当たり前のように通過していくものだが、「十年後の私」という主題を与えられていざ向き合ってみると、空恐ろしい気持ちに囚われる。
もし、十年後この文集を手にしているのが、すっかり様変わりして「私」の影も残っていない大人だとしたら? その時「私」は、すでに過去のものとして廃棄されているのだろう。他でもない、未来の自身の手によって。
自我がこんなにもあっけなく消えてしまうなんて、考えてもみなかった。自分に素直に生きてきた私にとって、これは恐怖以外の何物でもない。しかし、冷静になって考えると、十年経とうが五十年経とうが代わらない個性もあるように思う。例えば、私は作曲が趣味だ。きっとこの趣味は一生ものだろう。十年後職場で働く自分は想像できないが、パソコンに向かってミュージックシーケンサーをいじっている自分なら想像に難くない。どんなに精神が更新されても、核として残る部分はあるはずだ。その中に、「私」は生き続ける。
私はいつだって、自分が正しいと思う道を選んできた。そのせいで周囲に迷惑をかけた事もある。それでも、私は自分の選択で後悔したくはなかった。――この性格こそが、私を私たらしめている核であるに違いない。
十年後の私へ。貴方がまだ少しでも「私」であるなら、自分と世間の価値観が噛み合わなかったとしても、胸を張って自分の道を歩んでほしい。それが、私を過去へと追いやった貴方にできる、せめてもの償いなのだ。
ちなみにこれを書いたのは高2の時。笑いながら書きました。
高2の時点で卒業文集を書かされると、モチベーション下がりますよね。
高3になってから書かされるのも、それはそれで受験勉強の妨げになりますが……。