2011年12月13日

人生は小説を読むようなもの

 

僕は人生を「一冊の完結した一人称小説の主人公になりきって、始めから終わりまでを体感していく」ようなものだと思っています。
この小説というのは、人格のある誰かによって書かれたものではありません。例えば砂漠で風が吹いて、偶然にもストーリー性のある砂絵が形作られた、そういう類の生まれ方をした小説です。

小説は完結しているので、当然ストーリーは初めから最後まで決まっています。
これは、世界がすべて物理法則にしたがって動いているなら、世界が始まった瞬間(世界には始まりもなく終わりもないかも知れませんが)にはすでに、すべての物質やエネルギーがどのように運動するかが決まっているということの比喩です。

 

各主人公がどのように生き、悩み、思考し、選択していくか。それらは決まっているけれど、登場人物たちに物語の先を知る由はありません。また、あらかじめ何をするかが決まっていたとしても、「○○は考え、~をした」というストーリーである以上、それはこの小説(人生、世界)においては主人公の意志によって行われた行動です。誰かに操られているのではなく。

哲学史の中で、自由意志の問題というのはかなり深刻なものですが、僕はこのように考えることで決定論と自由意志を両立させようとしています。

 

決定論反対派の大学の先生はよく、「未来がすべて決まっていると思いながら生きていくことなんてできない。もし自分で何も変えられないと信じているなら、何もしようとは思わないだろう」とおっしゃいますが、僕は同意できません。

完結しているが先を想像できない小説の続き、読みたいですよね。

主人公(自分)が今悩んでいることにどんな結論を下すか、それがすでに決まっていたとしても、やっぱり気になりますよね?

読み手であり主人公でもある僕たちは、何かをすることで物語の続きがそれだったと知るのだと思います。僕たちが何を考えるかが物語に組み込まれている以上、思考・行動することと物語の続きを読むことは同義です。続きを読みたいと思うことと何かをしようとすることは同義です。だから、「何もしようとは思わないだろう」というのは間違っていると思います。

 

僕は小説を読めること=この世に生まれて様々なことを体験できたことを心から嬉しく思っています。

例えこの小説がバッドエンドでも、僕は「面白かった」と言うでしょう。

 

 

ここまで読んでくださってありがとうございました!

 

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