2011年11月22日
こんなタイトルだけど、ポジティブな文章なんですよ。
神を信じずに、この世には価値があると言うことは可能でしょうか。
僕は不可能だと思います。
そして、無神論者の立場から、世界が無価値であることを証明しようと思います。
神を信じずにものの価値を信じる人は、ものに価値を付与するのは人の価値観だと言います。
ものの価値が人の感情や価値観で決まることを証明するためには、その人(の感情や価値観)に価値があることを証明しなければなりません。価値のない人が何を言っても、その言葉は無価値だからです。
しかし、この世で初めに価値観を手に入れた存在は、誰からも評価されることのない無価値な存在でした。故に、その存在の感情や価値観は無価値です。
現在に至るまで何物も「価値ある価値観」によって評価されたことはないということが、世界のすべてが無価値であることを証明しています。
※もし誰からも評価されなくとも価値がある存在があると思うのなら、あなたは「神」を信じているということです。神なくしてその論理は成り立ちません。人格神を信仰していなくても、何らかの神聖な力を信じているということです。
(僕は無神論者ですが、神が存在しないことを証明するのは不可能なので、信仰を否定はしません。それに、信仰心は幸福をもたらしてくれるので、信仰を持てる性質の人は信仰を持てばいいと思います)
誤解されがちですが、無価値は「無駄」とは違います。無駄はマイナスの価値であり、無くすべきものです。一方無価値は「有っても無くてもいいもの」。
僕はこの世に価値がないことを証明することによって、この世には「有るべきもの(プラスの価値:善)」も「無いべきもの(マイナスの価値:悪)」もないことを証明したつもりです。
世界にあるすべてのものは、有っても無くてもいいのです。
嫌うべきもの、なくすべきものはありません。
たとえあなたが全人類から嫌われていたとしても、そんな評価は無意味です。
どんな嫌われ者だって、無価値なものに対して無価値な感情を抱いている無価値な自分を、無意味に愛していいのです。
ゴキブリを愛していいのです。
悲劇を愛していいのです。
僕はあなたを愛します。
世界が無価値であるからこそ、すべてを愛することが許される。
ならば、世界が無価値であることは悲しいことではなく、むしろ幸せなことなのではないでしょうか。
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