2011年10月17日
Twitterに書いたことをまとめてみました。1段落が約140字なのはそのせい。
愛されるべきものと否定されるべきものの区別が存在する「価値ある世界」と、
不幸や不快を含む全世界が分け隔てなく肯定される「無価値な世界」。
あなたはどちらが好きですか?
「人助け(ここでは善と前提する)は悪いことだと教えられて育った人が、悪いことをしてやろうと思って人助けをした場合、それは善なのか悪なのか」
もしそれが善なら、至善の存在である神が創ったこの世界に何故悪があるのかと悩む信仰者たちに、一つの可能性を提示できるかも知れない。
「この世に悪があるという人間の認識はただの勘違いで、実はこの世には善しかない。人間は行動を選択できるが(そうでなければ善も悪もない)、知識が十分でないため、悪を選んだつもりでも善を選び続けている」
もしそうなら、何と愚かで可愛らしい善なる世界なのか……。萌えるっ!←
僕は、「この世には善も悪もなく、すべては無意味で、消えようが死のうがどうでもいいのと同時に、何でも、誰でも、存在していていい」という世界観を持っています。
すべてを肯定するのと、すべてを善と考えて愛でるのは似ているので、僕ほど信徒の素質のある無神論者もいないのではないかと思います。
僕は、何かを愛するということが楽しくてたまりません。故に、意味のない自分を生み出し何かを愛する機会を与えてくれた、意味のない世界のすべてを、心から愛しています。
愛するものに囲まれて毎日幸せです。嫌いなものなんて、無い方が幸せに決まっています。
だから、もし悪=なくすべきもの・嫌うべきもの・愛してはいけないものが存在するなら、悲しくなってしまいます……。
僕は何も嫌いたくない。全部愛したい。
僕は無神論者を自称し、世界には意味がないとか言って大学の先生を困らせているかも知れないけど、本質的にはただ「すべてを愛したい」だけなのだと気づきました。
この世に悪がなく、すべてを愛していいのなら、神様がいたって世界に意味があったっていいのです。
ですが、どうやら大学の授業を受けている限りでは、人格的唯一神の存在は、4個前のツイートで言った案が通らない限り善悪の存在につながってしまうようです。
善悪、そこから生まれる意味・目的・価値を否定しなければ、不幸や不快を含む全世界を肯定できません。
だから僕は、神を否定し、世界の意味も存在価値も、全部否定します。世界のすべてを愛し続けるために。
以下、補足。
何か一つでも、とても好きなものがあれば、自然と世界のすべてが愛おしくなるものだと思うのです。
とても好きなもの、「どうしても愛していたいもの」を愛し続けるためなら、どんなに辛くても「生きていたい」と思うでしょう(※)。生きていなければ愛することはできないのですから。
「生きていたい」という気持ちは、自分が存在しているこの世界を愛することに直結すると思います。「この世界でなければ、この人生でなければ、私は今○○を愛している人間として存在していなかった」→「この世界が存在していて嬉しい!」となりませんか?
世界を嫌いになるとすれば、自分が納得いかない死に方をする時でしょうか。
でも、僕は「不幸は幸福を打ち消さない」と思っています。例えば双子が生まれる時に、片方が難産で死んでしまっても、もう片方が無事に生まれてきたことへの喜びは打ち消せないように。
死んで、「どうしても愛していたいもの」を愛することができなくなったとしても、それまでそれを愛していた喜びは打ち消せません。初めからこの世に誕生せず、「どうしても愛していたいもの」を愛する機会が与えられないよりは、この世に生まれ、一秒でも長く愛してから死にたいと、僕は思います。
もし願いが叶うなら、ずっと生き続けてずっと愛し続けたいんですけど(笑)
※死にたいと思うのであれば、それは「どんなに辛くても生きて愛したい」と思えるほど強く愛するものがないのだと思います。 そこで何の恐れもなく気楽に死んでしまえるならある意味幸せかも知れませんが、現実的には様々な理由で自殺できず、苦しみ続けることの方が多いでしょう。
愛するものもないまま、自分を苦しめる世界を憎みながら生きるなんて、悲しい。
突然ですが、僕は悲劇もそこそこ好きなんですよ。だからこの世のあらゆる悲劇を愛していられます。世界がどんなに悲劇的だったとしても、やっぱり僕はこの世界が大好きです。
――でも、喜劇の方が好きなんですよね。
だから、僕の夢は、人々に「どうしても愛していたいもの」を提供できるような人間になることなんです。
自己紹介のページにある「将来の夢:萌えで世界中に幸せを届けること」とは、実はそういう意味でした。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
頭のおかしいやつだと思われてしまったでしょうか・ω・;
まあ、もし頭がおかしいのであっても、僕が個人的に「生まれてきたことや今生きていること」を喜ばしく思えるということに変わりはないので、幸せです。
また、僕が正常なのであれば、他の人だって世界のすべてを愛して幸せな気持ちで生きていくことが可能ということになるので、やっぱり幸せです。
どっちに転んでも幸せってすげぇ゜∀゜
注意:
この文章は、「世界のすべてを愛しなさい!」という意味ではありません。
ゆるく説明すると、「世界のすべてを愛することができれば幸せだよ~。個人的には、みんながすべてを愛して幸せな気持ちになってくれれば、居心地がいいんだ~。でも当然、僕の居心地をよくするために世界を愛せなんて、そんな我儘は言わないよ~。愛するかどうかは個人が決めることだし、そもそも愛するという行為は無理矢理自己暗示で成り立たせるものでもないからね~」って感じです。
僕だって、世界を愛そうと思って意欲的に愛しているのではなく、気づいたら世界を愛していたというだけですから。
でも、これからも愛し続けていけたらいいなと思います。
今度こそ本当におしまい。
最後まで読んでくださってありがとうございました!