2011月12月2日
大学の期末試験で書いたこと。
お題が「授業を受けての感想」だったので敬体です。
宗明理学と僕 1
【超分かりやすい用語説明!】
※宗明理学・・・朱子学や陽明学などの新儒教の総称。宋と明の「理」についての学問、ということ。
※天地・・・宗明理学においては世界、宇宙の意
※天下太平・・・世界平和
※理・・・法則、性質、傾向性
※気・・・質料
※理気二元論・・・気(質料)は神の力ではなく、自らの持つ理(法則・傾向性)によって能動的に動くという考え方。
授業を受けて思ったのは、宗明理学の世界観は、私が幼い頃から持っていた世界観とよく似ているということです。
理気二元論や、私(個)と宇宙には本来境界などないという「万物一体」の思想は、私の考えそのものであるような気さえするほどでした。
しかし、どうしても納得いかないのが、善悪の基準についてです。自分の能力を最大限発揮し、他者の能力も最大限引き出して、天下太平を目指すことが善である根拠はどこにあるのでしょうか。「万物一体の仁」の正当性について、「万物は一体であるから愛するものと愛さないものを区別するのは矛盾している」という言い方はできると思いますが、それだけでは万物を平等に「愛さない」ことが不当だとは説明できません。万物を愛することが善であることの根拠はどこにあるのでしょうか。
むしろ、「理」を科学法則、「気」を原子(以後、「それ以上分けることのできない質料の最小単位」という意味でこの言葉を使います)とするなら、理気二元論は善も悪もない機械的な原子論であるはずです。しかし実際には宗明理学の教えには「~すべきだ」という価値観が入っており、私はそこに矛盾を感じてしまいます。
とは言え、ここで思考停止したくはなかったので、授業で聞いた「天地は人間を身体的・道徳的に完全な状態で生んでくれるから、天地の子である我々はその本性(理)を完全に発揮しなければ、天地の意志に背くことになる」という説明をより深く考えてみました。この言い方のままでは、障害者はどうなんだとか、天地の意志はどこから来るのかという疑問が残るからです。
その結果、「天才として生まれたとしても、障害を持って生まれたとしても、それがその人の完全な状態であり、理気の働き(=天地の意志・性質)によって、天才あるいは障害者としての影響力を天地に及ぼす」という解釈に至りました。
しかしそうすると、生まれつき脳の構造やホルモンバランスの関係で凶暴な性格の人は、生まれもった本性を発揮して殺人をすることが完全な状態であり、天地の意志であるということになります。また、この世界が本当に理気二元であり、神的な力によってその性質を曲げられることがないのなら、その人が殺人をするということは理気の働きに基づいて機械論的に初めから決まっており、自由意思で殺人をするかしないか決めることはできないということになります。
これは私自身の考えとはかなり近いのですが、宗明理学が理想としていることからは外れていると思います。このことから、やはり宗明理学の説明にはどこか不備があるのではないかと思いました。
以下に書くことは、私の個人的な考えです。
大学で授業を受けるだけで満足してろくに自習もしない上、高校で倫理を習ったわけですらない者の意見なので、変なことを言っているかも知れませんが、お許しください。
私の考えでは、あらゆる幸せも、あらゆる不幸も、気(原子)が自らの理(性質)の通りに動いた結果です。世界には善悪も価値も目的も意味もないからこそ、気は神の奇跡などでその理を捻じ曲げられることなく、ありのままの自分でいられるのです。
世界の無意味さが原子をありのままにしておくこと。私はそれを、「愛」と呼んでいます。
人の愛は、一般的には他者の幸せを願うこととされています。しかしこの愛は、幸せなAさんを選び、不幸せなAさんを否定するものです。
一方、意味のなさに由来する「愛」は、Aさんがどうなろうと意味がないからこそ、どんなAさんでも受け入れます。幸福であろうと不幸であろうと。
世界は無意味さに「愛されている」のです。
どんな不幸も、世界中の原子一つ一つが「愛」によってありのままの働きをした結果なのだとすれば、少なくとも原子の塊としての私たちは「愛されている」のだと、満たされた気持ちになります。私だけかも知れませんが……。
私は自分でも驚くほどあらゆるものを愛しています。私の世界観に善悪や意味がないからこそ、私は万物を愛せるのだと思います。
そんな私からすると、善悪の価値観を持ちつつ「万物一体の仁」を理想とする宗明理学の教えは、中途半端で難しいもののように思えます。そもそも善悪が存在することの根拠が分かりません。
宗明理学がどのように世界を愛そうとするのか、これからの授業で知ることができたらいいなと思います。
これ書いたら先生から呼び出し食らいました゜∀゜
多分いい意味で・ω・;