『イルミナ』 中3の時書いたラノベ等身大すぎワロタww →企画トップページ
「ようこそアルタへ!」
亜麻色の髪の女性がメイとクラリスを出迎えた。
「へー、受付があるんですね。他の町にはなかったけど」
メイは感心する。
「あら、ここは町ではなく、小さな国なんですよ。さあ、ここにお名前をお書き下さい」
女性は用紙を差し出した。
「フルネームでお願いします」
二人は銘々に名前を記入した。
「メイの名字って何?」
クラリスがメイの手元を覗き込む。「メイ・アンシェローク」とあった。
「イルミ……あんたにも名字があるんだな」
イルミナ族と言いかけて、マーガレットの言葉を思い出す。
「いいえ、これは私を引き取ってくれたおじいさんとおばあさんの名字なんです」
「ふうん」
アンシェローク。どこかで聞いた事のある名の様な気がする。でも、思い出せなかった。
「クラリスさんは? エヴェンズ? かっこいー!」
一般的に、名字が日常で使われる事は無い。わざわざ名乗ったりもしないし、尋ねたりもしない。だからこの時初めて、二人は互いの名字を知ったのだった。
しばらく行くと、しょんぼりと頭(こうべ)を垂れている十歳程度の男の子に出会った。
「どうしたの、僕?」
メイが声をかけると、男の子はきっとこちらを睨んだ。
「僕は『僕?』なんて言われる程、子供じゃないよ! 君だって、僕とあんまり変わらない年だろう!」
「えっ、そうかな……」
メイは十五歳である。少年は、もしかしたら見た目よりは年上なのかも知れないが、少なくとも十五歳ではないだろう。
「じゃあ、何て呼んだらいいの?」
メイがおずおず尋ねると、彼はクートと名乗った。
「君、旅をしてるの? そっちのお姉さんも?」
「うん」
「だったら強いでしょ」
クートは唐突に結論を出した。旅人は強いという思い込みがあるらしい。
「旅をすると強くなるんだって、父さんが言ってたんだ。それならロムドなんて楽勝だよな。ちょっと来てよ」
クートはメイの腕を掴むと、クラリスにも頼んだ。いや、命令か?
「お姉さんも! 来て!」
面倒な事に巻き込まれてしまったが、年端も行かぬ子供の願いを無視する訳にもいかない。私は結局お人好しなのだろうかと考えながら、クラリスは歩き出す。
「君、肌が白いぞ。本当に旅してるのか?」
「それは生まれつきだから。私の村の人はみんな白かったよ」
「なあんだ」
どっちみち「旅人が強い」とは限らないのだが、クートは安心した様だった。
「ほら、着いたよ」
クートは悪趣味な配色の家の前で足を止めた。
何と、屋根は紫、壁は赤と黄色のストライプだ。メイとクラリスは度肝を抜かれた。
「ここにはロムドっていう性格の悪い男が住んでるんだ。そいつ、僕が拾った指輪を横取りしたんだよ!」
「拾った……?」
そういう場合、横取りと言うのだろうか。
「何でもいいから勝負で勝ったら返してやるって言うんだけど、とにかくあいつ、能力だけは高くてさ。頭もいいし、体も強い! ってなわけで、旅人、僕の代わりに勝ってくれよ」
いきなり言われて、メイは戸惑う。
「ちょっと待って! 私、そんなにすごい人じゃないんだけど……」
しかし、無情にも戸は叩かれた。
「ロムド! 用がある!」
その声に応えて、若い男が姿を現す。彼の目は、クートの脇で困っているメイと、無表情なクラリスを捉えた。
「……何だ、女にモテるかを競いに来たのかよ」
メイは、センスの良さなら勝てそうだと思った。何しろ、ロムドのファッションは最悪を極めている。シャツは、紫地にピンクと赤の毒々しいチェック(ちなみにボタンはオレンジ)。黄色いズボンは、青と黒のマーブル模様。しかも、短く切った平凡な黒髪が、現実離れした服装と釣り合っていないのだ。いっそ、真っ青に染めてしまえばいいのに。その方が面白い。
「違う! この人たちが僕の代わりに勝負してくれるんだ。それでもいいだろ?」
メイは現実に引き戻された。ロムドが自分を見ていた。
「……ふん、いいだろう。どうせ誰も俺様には勝てねえよ」
ここは腹を決めるしかないと、彼女は悟る。挑戦的に提案した。
「じゃあ、まずはしりとりで」
「お、おい! メイがしりとりで勝てるのか?」
そう言うクラリスを無視して、メイとロムドはしりとりを開始した。
「しりとり」
「料理」
「倫理」
「リサイクル」
この後は、瑠璃、リハーサル、ルール……と続く。なかなかハイレベルである。
言葉の戦いは、日没まで続いた。メイにこれ程の語彙があるとは、クラリスは思ってもみなかった。ただの馬鹿ではなかったのだ。少し見直してやろう。そう思ったその時、
「た、玉響(たまゆら)」
「ら、ライオン」
……終わった……。
「ほあーん! ルール忘れてたー!」
「ふっ、俺様の勝ちだぜ」
あまりにもあっけない最後に、クートは唖然とする。
「ライオンだって? 何でそんなマイナーな単語使っといて負けるの!」
「ごめんね、クート君。次こそは勝つから!」
メイの謝罪が受け入れてもらえたかは分からなかった。クートは怒って帰ってしまったのだ。
「私も知りたいんだけど、ライオンって何?」
クラリスが聞いた。
「髪の毛の生えた大きなネコです。どこか遠くの島に棲んでるそうですよ。おじいさんは若い頃、その動物と戦って大けがしたんだって言ってました。それが思い浮かんで、つい、反射的に言っちゃったんです……」
メイは申し訳無さそうにうな垂れる。
「また勝負がしたかったら、いつでもかかってきな!」
ロムドは気色悪い家の中に入っていった。
「さあ、私達も宿を探さないと」
クラリスがメイを誘う。メイはとぼとぼと足を動かした。
大通りまで来た時、メイははたと立ち止まった。
「……私、酒飲み大会に出ます」
「何だって……?」
見ると、掲示板に、明日開催予定の酒飲み大会のポスターが貼られている。
「何を言い出すかと思えば……。やけ酒か?」
クラリスは憫笑した。
「いえ、勝ちます。ロムドさんにも来るように言ってきますね!」
メイは本気らしい。クラリスが慌てて呼び止めた。
「だめだメイ! 未成年の飲酒は身体機能を低下させ、脳を破壊し、精神の発達を妨」
結局、メイは大会に出た。
「おや、君が酒飲み大会に出場するのかい?」
受付の男性が驚いて目を見張っていた。
会場は国立の広場だ。テーブルが一直線に並べられている。一定間隔ごとに酒樽と積み上げられた木製の器が置かれており、暇をもてあます酒酌み係も立っていた。参加者はまだ入場していない。
観客はざっと五百人。クラリスもその内の一人だった。
「レディース、アンド、ジェントルメーン!」
突然、司会者の男の声が響き渡る。
「ようこそ、わが国恒例の酒飲み大会へ! ですが、お客様も恒例とは限りませんので、簡単にルール説明をしておきましょう!」
前にいるでぶなおばさんのせいで姿は見えないが、クラリスのイメージでは、司会者はてっぺん禿げだ。
「制限時間は五時間! 出場者は、飲んだお酒の入っていた器を目の前に積んでいきます。途中で休んでも構いません。要は、他の人よりも多くの器を積む事ができればいいのです! なお、酒酌み係は監視員も兼ねておりますから、不正はできませんよ! また、吐いてしまった人は即リタイアです! さあ、準備ができたようですね。では、参加者、入場!」
入り口からぞろぞろと、五十人程の参加者がやってきた。そして、一人一人席に着いていく。たくましそうな男や気の強そうな女達の中に、メイが混じっていた。見るからに幼弱で、場違いである。
「おっと、随分と可愛らしい方もいらっしゃいますね。使用されるのはアルコール度六十パーセントの強いお酒ですが、果たして大丈夫なのでしょうか!」
司会の声を聞きながら、ロムドはほくそ笑んだ。
「ふっ、あの女の子、俺様が十年連続で優勝しているって事を知らないな?」
今日のファッションは、赤紫の生地に白と緑の水玉模様がちりばめられたベスト、水色と桃色と黄色の花柄が入った茶色いズボン、そしてなぜか青紫色の長靴。どこでこんな服を仕入れてくるのかは不明だが、ここまで来るとファッションショーだ。
「用意……スタートっ!」
その合図と共に、参加者は一斉に酒を飲み始める。五杯目くらいまでは、全員同じスピードで飲み続けた。だが、それ以降は、酒が進まなくなる者、顔を赤くする者などが目立ち始め、やがて一人、二人と脱落者が現れる。いつの間にか、人数は半分になっていた。
メイはと言えば、七杯の器を積み上げて休憩している。
「さすがに酔うよな……」
クラリスの予想とは裏腹に、メイの顔は少しも赤らんではいなかった。単に満腹になっただけだったのだ。
「くっそう、俺様でも七杯はきついのによお……。何であのガキ、あんな涼しい顔してるんだ……?」
ロムドは震える手で八杯目に手をかける。が、やめた。
「まだ十五分と経っちゃいねぇんだ。焦らず確実に行くぜ」
他の参加者も同じことを考えたらしく、テーブルの辺りは静止する。反対に観客席からは野次が飛んだ。
「もっと飲めー!」
「いけ! 今のうちだー!」
「目指せ三十杯!」
しかし、動く参加者は一人もいなかった。皆それぞれ、酔いの感覚を最低限に抑えようとしている様に見える。ただ、メイだけは特に何の努力もせず、そこに座っていた。彼女はこのままずっと酔わないのではないかと、会場の全員が思い始めた。
誰かが焦って、無理に飲酒を再開する。すると、火が付いた様に、その周囲の参加者も飲み出した。
その結果、ある者は口を押さえてよろよろと席を立ち、途中で力尽きた。ある者は酔い過ぎて、隣の参加者と共に笑い狂っていた。またある者は服を脱ぎかけたので酒汲み係兼監視員に取り押さえられた。そして、どこかに連行されてしまった。
要するに、リタイアが続出したのである。
残りは十人。メイとロムドを含め、女三人、男七人だ。
メイは退場していく人々を哀れみの眼差しで見ていた。
「普通の人にとっては、お酒って毒なのかな。それなら飲まなきゃいいのに」
胃のスペースに余裕ができた彼女は、八杯目を軽く飲み干し、九杯目にも手をつける。それを見ていた他の九人は、自分も飲むべきか迷ったあげく、ロムド以外の男は意地を張って酒を飲み、女二人は待つ事にした。
やはり、酒を飲んだ男達は、リタイアを免れ得なかった。
「うぅ……おえー」
一人がやってしまったので、他の五人も吐き気を催し、同じ運命を辿ったのだ。観客は大喜びだった。
「あーゆーの見るとやる気なくすわよね……」
「ん……。お気の毒……」
残った二人の女性は友達同士で、前者はクリーム色の短髪、後者は赤みがかった茶髪をしている。一見控えめに見える後者だが、七杯をマークしていた。
「ピア、私もうだめかも……。酔ってる……」
前者が呟く。
「どうしてよ、ナタリー? まだいけそうじゃない」
ピアという名の後者は、問いかけた、というよりは励ました。
「だって、あのロムドがかっこよく見えるんだもん……。これヤバくない?」
ナタリーは苦笑する。
「うん」
ピアも認めた。
「私、自主リタイアするわ。公衆の面前で恥を晒したくないもの。悪いね、ピア」
「ううん、いいよ、大丈夫」
開始から一時間半。残りはメイ、ロムド、ピアとなった。
メイは目の前に十枚の器をうずたかく積み上げている。ロムドは八杯目の半分で止まっている。ピアはさっきと変わらない。四十七人がいなくなった三人の脇を、蒸し暑い風が走っていった。
「ナタリーの分も頑張らないと……」
ピアは八杯目を口にした。気持ち悪い。もううんざりだ。でも、賞金十万リーネの為だし……そう言えば、この前ロムドに一万リーネ貸したけど、まだ返してもらってないな……。ああ、向こうにいるじゃない……。
「ロムド、お金返して」
ピアは無性に金を返して欲しくなった。心のどこかでは、それが酒のせいだという事を分かっているのだが。
「な、何でこんな時に……?」
ロムドはたじろいだ。「ふーん、あの人借金してるんだー」という囁きが聞こえてくる。
「昨日には返してもらう約束だったと思うけど」
「そうだったかなあ……?」
ロムドは目を逸らしたが、横目でピアの涙を見てしまった。
「やっぱりあなた、私の事カモにしてるんでしょ。愛してるなんて言っておいて、ひどい嘘つきね!」
広場にざわめきが起こる。思いがけない真実が暴露されるのも、酒飲み大会の醍醐味だ。
「さよなら、ロムド」
こうしてまた一人、参加者が減った。
メイは、まるで水でも飲むかの様に十二杯目を飲み終えた。
「ロムドさんも、少し赤くなってる。大丈夫かな……。あっ、一気に飲んだ!」
ロムドがまずくなった酒を胃に放り込んでいる。ようやく八杯目クリアだ。
「ちっ……。フラれるわ負けそうになるわ、最悪だぜ。こうなったら何が何でも優勝してやる!」
かと言って、ロムドは酒を飲みまくったりはしなかった。考えてみれば、諸悪の根元はあの女の子ではないか。リタイアしていった参加者の多くは、彼女の出場によって自らのペースを崩されたのだ。自分は自分のペースを守ろう。
しかし、それでメイに敵うはずもなく、終了時には三十四対十二という大差ができていた。ロムドの完敗だった。
司会者の声が鳴り響く。
「あなたは第二十三回酒飲み大会において、優勝されました。アルタ一の酒飲みを称え、賞金十万リーネを贈呈いたします」
完成が上がる。容姿とのギャップが、彼女の人気を呼んだのだ。
「三十四杯というのは前代未聞の記録ですが、どうしてそんなに飲めたのですか?」
司会者の質問に、メイは正直な事を言った。
「私、みんなとは違う人種なんですけど、何か体のつくりが違うみたいで、アルコールが効かないんですー」
「はあ、そうですか」
司会者は明らかに困っていたが、とりあえず話を進める事でそれを解消した。
「さて……、表彰式は今夜六時、アルタ城にて開かれます。優勝者はもちろん、お時間に余裕のある方は是非お越し下さい。いつも通り、パーティも催されますよ。何と言っても、国の代表的イベントですからね! それでは皆さん、夜にお会いしましょう!」
「えーっ、そんな大きな大会だったんですかー!?」
司会者が呆れて言った。
「あなたは三時に行くんですよ。忘れないで下さいね」
解散後、メイはロムドに声をかけた。
「ロムドさん、約束通り、指輪を下さい」
ロムドはやや嫌そうな顔をしたが、素直に指輪を譲る。銀色のリングに緑の宝石がはめ込まれた、至ってシンプルなものだ。
「ありがとうございます!」
「いや、礼を言うのはクートだろ。っていうか、俺が負けたんだぞ。お前が礼を言うのはおかしいぜ」
ロムドが指摘すると、メイは申し訳なさそうに彼を見上げた。
「そうですか? ごめんなさい……」
「えっ……別に謝らなくても……。怒ってるんじゃねえし」
やはり、この少女といるとペースが乱される。あまりに善良過ぎて。
「あっ、そうだ、これ……」
メイは先程渡された十万リーネを、ロムドに差し出した。
「私、人種が違うのに大会に出て、ちょっとずるかったです。本当だったらロムドさんが優勝してたはずだから……」
「そんな大金もらえないぜ、おい」
ロムドさんって謙虚なんだな、とメイは微笑む。
「じゃあ、一万リーネだけでも。借金は返さなくちゃだめですよ」
一万リーネ紙幣を手の中に押し込まれながら、ロムドが言った。
「お前……いつかその優しさが命取りになるぜ?」
メイはその言葉を全く理解していない様子だった。
「あんた、大酒飲みだったんだな」
受付の辺りで、クラリスはメイを発見した。
「イルミナ族はお酒を普段の飲み物として生活してましたからね。具合を悪くする人も見たことありませんよ」
「ふーん……。で、お金」
最近では、二人の金は全てクラリスが管理している。
「あ、はい」
受け取った紙幣を二度数え、クラリスは顔をしかめた。
「……一枚足りないけど」
実は金にうるさいクラリスである。メイは考えておいた返事をした。
「募金しました」
途端にクラリスが爆発した。
「あんたは馬鹿かっ! 一万リーネあったら何が買えると思ってるんだ! 今すぐ取って来い!」
「それは無理ですー。もう人のために役立てられたでしょう。それよりクラリスさん、私、大発見しました!」
メイは怖じる事なく話を脱線させる。
「バイゼンって、お酒飲んで酔っぱらってるんじゃないでしょうか?」
「何それ」
クラリスが白けた。
「あ……れ、納得してくれないんですね。でも、きっとそうですよ! イルミナ族じゃない人がお酒を飲むと変な人になります。バイゼンもお酒を飲むと魔王(へんなひと)になるんです!」
メイは自信たっぷりだが、クラリスにとってはくだらない話でしかない。
「あっそ。ところで指輪は? その前にクートはどこだ?」
「僕ならここだよ」
振り向くとそこには、昨日以来会っていないので忘れかけていた顔があった。多分クートだろう。
「やっぱり旅人はすごいね! お酒にも強くなるのか! で、指輪」
クートが手を差し出す。メイはそこに指輪を置いた。
「その指輪、どうするの?」
クートは嬉しそうに目を細める。
「ママにプレゼントするんだ」
「……マザー・コンプレックスなんだな」
クラリスが鼻で笑った。
「そうだとも! 僕はマザコンである事を誇りに思っているよ。親を大切にして何が悪い!」
クートはそう主張する。
「そうだね、クート君。親は大切だよ。大事にしなきゃ」
「あんた達、何同調してるんだ」
クラリスのセリフは、この場では意味を成さなかった。
「さあ、僕の家に来て! 僕のママは美人だから、目の保養になるよ」
「んー、私のお母さんの方がきれいだと思うよ」
「メイもマザコンか!」
二人のマザコンとクラリスは、クートの家へと向かった。
「あら、クート、お帰りなさい」
ドアの向こうから現れたのは、国に入った時に出会った受付の顔だった。
「クート君のお母さんて、受付の人だったんだね」
「そうさ。美人だろ?」
女性は端正な顔立ちで、確かに美しい。クラリスは、実際にはメイの母親とどちらが美人だろうかと考えた。メイの母親は、メイを大人っぽくした感じかも知れない。だとしたら、考えるのは不可能だ。なぜなら、メイが大人になった姿など想像できないからである。母親を知る本人のみが、決着を付ける事ができるのだ。
ところが、当の本人は勝負を忘れ、のんきに挨拶をしていた。どうやらどうでも良い事だったらしい。
「ママ、プレゼントだよ!」
クートは母親の指に指輪をはめる。彼女はそれをしげしげと見つめ、そして呟いた。
「……これ、私が三日前に失くした指輪だわ。どこに落ちてたの?」
クートがずっこけたのは言うまでも無い。
午後三時、メイとクラリスはアルタ城の前に立っていた。
「すごいですよ、クラリスさん! 本物のお城ですよ! 私達、ここでパーティなんですよ!」
メイが騒ぎ立てるので、門番が胡散臭そうにこちらを見ている。
「メイ、静かにしろ。すごいのは分かったから」
そうたしなめるクラリスも、内なる興奮を感じていた。面前にそびえ立つ美しい大理石の城壁。ところどころにあしらわれた宝石が、この国の豊かさを誇示するかの様に煌めく。文句の付け様のない見事なデザインだ。
「あのー、酒飲み大会優勝者のメイです。こんにちはー……」
メイがおずおずと言った。門番は事前に連絡を受けていたらしく、ぽんと手を打って道を開ける。
「どうぞ中へお入りください。入ってすぐ、侍女のエトラが案内致します」
二人は門番に会釈して扉をくぐった。その途端、
「お待ちしておりました。メイさんでいらっしゃいますね?」
深々と御辞儀をする女に出会った。
上げられた顔は五十代。白髪混じりの黒髪と知的な眼鏡が印象的な侍女だ。暗緑色の清楚な服を身に付けている。
「そうです。それで、私はどうしたらいいんですか? 早く来たってことは、何かする事があるんですよね?」
メイの問いにエトラはぺらぺらと答えた。
「まずは着替えをしていただきます。それから式の打ち合わせを致しましょう。ああ、お姉様は申し訳ございませんが、城の見学でもなさってお待ちくださいませ」
お姉様と呼ばれたクラリスは、ふと笑みを浮かべる。全然似ていないのに、と思ったのだろうとメイは解釈した。
「こちらでございます」
メイはエトラの後を付いていった。赤い絨毯を特に意識して踏みしめながら歩く。しばらくして、ある部屋に辿り着いた。
「はい、ここですよ」
エトラがメイをそこに通した。なるほど、貸し出し用の服が目白押しだ。
「きゃー! 本当? 本当に今年はロムドじゃないのね!」
待機していた侍女がメイの手を取って狂喜乱舞する。
「女の子だとは聞いていたけど、まさかこんなに小さい子だとは思わなかったわ! 私、感激!」
「フェティ! 興奮しすぎですよ。少しは新入りのルシーヌを見習いなさい」
エトラはフェティの向こう側を顎でしゃくった。メイは、目の前の侍女のせいで、もう一人侍女がいることに気が付かなかったのだ。
そこには、端正な顔立ちの、限りなく優しい目をした女性が立っていた。紫色の瞳もそうだが、何よりも特徴的なのはその赤い髪。腰まで届くそれは、夕焼けさながらに輝いている。普通の人間なら不自然に見えるはずのその色が、なぜか彼女にはふさわしく思えた。
「私などには身にあまるお言葉です、エトラさん」
ルシーヌは朗らかに微笑んだ。
「メイちゃん、私は本当に今年の優勝者があなたで嬉しいわ! 毎年毎年、ロムド、ロムド! やんなっちゃう」
フェティはメイに似合いそうな服を探しつつ、まだ喋り続ける。
「彼ったらね、私がどんな服を薦めても、『お前センスわりぃな。俺様が選ぶぜ!』とか言って、すごいコーディネートをするのよ。例えば、紫の上着に赤い蝶ネクタイして、黄色い半ズボンにブーツを履くの。彼、紫が好きみたいで……」
彼女は楽しそうに、サーモンピンクのドレスと白いドレスローブを見比べた。
「ロムドじゃなくても、今までおっさんばっかでつまんなかった。悪い時は酔っ払っててね。でも、メイちゃんはやりがいがあるわ!」
メイがどうしたらいいか分からずに突っ立っていると、エトラが手招きして鏡の前に呼び寄せた。
「今のうちに、髪でも梳いておきましょう」
「あ、私が致します」
ルシーヌは櫛を手にし、メイの髪を梳る。メイは、ふと、昔母親に髪を結ってもらった時の事を思い出した。切なくて、何か言わずには居られなくなった。
「……あの、どうして酒飲み大会の優勝者にドレスアップする必要があるんですか?」
エトラははっきりと言い切る。
「受け狙いです」
「受け狙い?」
「ええ。ただの酒飲みなのに、正装して厳かな式に出るというのが、我が国の伝統であり、笑いなのです」
髪を梳き終わったルシーヌが櫛を置き、鏡の中のメイに語りかけた。
「ですが、私達のこの豊かな生活の裏には、鉱山で働かされている人々の苦労があるという事を知っていただきたいですね。この国では毎年、貧しい人々の中からくじ引きで鉱夫を選出し、選ばれた者には無賃で炭鉱で働く義務を与えます。そして、その働きによって、国は富を得、栄えているのです。ですから、感謝の気持ちを持ってパーティに臨んで下さい」
メイはふいに、ルシーヌの紫の瞳に飲み込まれてしまう様な錯覚に囚われて、鏡から目を背けた。ルシーヌは相変わらず微笑んでいる。
「働かされている方々を哀れんで下さるのですか? 優しい方ですね。彼らが早く解放される事を一緒に祈りましょう」
「ルシーヌ、もうそれ以上変な事を言うのはおやめなさい」
エトラが口を挟んだ。
「あなたは優秀なのに、妙な考えを持つからいけないのですよ」
「申し訳ございません、エトラさん。ですが、私は国を悪く言ったつもりではなかったのです。お許し下さい」
ルシーヌは必死の表情で謝る。
「分かっていますよ。ただ、あなたが人より優しいだけなのだという事くらい」
エトラが慰める様に言ったその時、フェティが複数の服を持って三人の輪に割り込んだ。
「どうかしら、三着に絞ってみたんだけど」
クラリスは、城の大広間で、表彰式が始まるのを今か今かと待っていた。三時間も待たされては、いくらクラリスでも退屈する。
パーティ目当てで来た国民達が騒ぐ中、大会の時の司会者がここでも司会を務めるらしく、ステージに上がった。
「皆さん、お静かに。これより、酒飲み大会の表彰式を始めます。アルタ国の王、エルヴィス様御光臨!」
広間の中央に敷かれた絨毯の上を、堂々とした男が通っていった。頭部には立派な冠を頂き、身には高級な緋色のマントをまとって、王者の風格を漂わせている。彼はそのまま直進して、ステージ上の王座に腰を下ろした。
人々は急に静かになり、ステージを見る。
「初めに、酒飲み大会開催委員会の会長、パウリル様よりお言葉を頂きます」
貴賓者席から白髪の老人が立ち上がる。
「えー、今年の大会は大荒れでした。わずか二時間以内で残りが二人になってしまった程です。と言うのも、彗星の如く現れた可愛らしい優勝者のせいですね。いやあ、今年は見ていて面白かった! 大会新記録三十四杯も出ましたし――」
彼は長々と語ったが、それはほとんどの耳から筒抜けしていった。
「次に表彰に移ります。優勝者入場!」
全ての視線が扉に注がれた。「ロムド」を見慣れている人々は、きちんとした正装の人間が現れるとは思っていない。扉が開く瞬間に備え、口を押さえる準備をする。
メイが入ってきた。クラリスは、白いドレスローブを着、その裾を引きずる様にして歩く彼女を見守った。いや、それとも本当に引きずっているのかも知れないが、どちらにせよ、歩き方が危なっかしかったのだ。
メイが目の前に来た。栗色の髪が優雅に結わえてあった。彼女の髪はやや癖っ毛なのだが、それがうまく活かされて、幼さを緩和している。コーディネートした人物はなかなかの腕前だとクラリスは思った。その瞬間、
「ほあっ」
情けない声がして、メイが転んだ。結局、裾を踏んづけてしまったようだ。人々は大笑いし、クラリスはメイを蹴飛ばしてやりたいという衝動に駆られた。国王エルヴィスまでもが忍び笑いを漏らしたのだった。
「エルヴィス様より、賞状が授与されます」
心成しか、司会者の声も震えている。メイはエルヴィスの前に進み出た。
「酒飲み大会優勝者、メイ・アンシェローク。そなたは今大会において優秀な成績を修められた」
酒飲みで成績優秀……。それは果たして良い事なのだろうかと、クラリスは疑問を抱く。
「よって、ここにそれを賞する。王国歴七百六十四年八月九日 アルタ国国王 エルヴィス」
メイは賞状を受け取り、エルヴィスに一礼した。
「続きまして、優勝者のメイさんからお言葉を頂きます」
メイはステージの中央に立つ。そして、大衆を見回すと小さく息を吸った。
「よく晴れた暑い日が続いています。今日もいい天気ですね。窓の外を御覧下さい。一番星があんなに綺麗に出ているんですよ。この様な日に大会に出られた事を、私は嬉しく思います」
メモを見ている訳でもなく、彼女の目は真っ直ぐクラリス達を捉えていた。
「さて、私は今日、酒と言う悪魔が人々の心身を蝕み、破滅に陥れる様子を目の当たりにして、驚きを隠せませんでした。私には酔うという感覚がないのです。しかし、他の方々は体調を悪くされたり、心にもない事をしてしまって、後で大変後悔していらっしゃいました。そうなるという事を知っていながら、人はなぜお酒に口を付けてしまうのでしょうか」
酒飲み大会の優勝者が、飲酒という行為を批判する。この奇妙な展開に、人々は思わず息を呑んで耳を傾けた。
流麗且つ天衣無縫な語り。その上、それが、今、この場で紡ぎ出されているのだという事に、いくらかの人間は気付いた。
ダールとマリアが沢山の本を読ませた為に、メイは素晴らしい文章力を培っていたのである。
「――確かにお酒は美味です。飲み物の王者と称しても過言ではないでしょう。しかし、それが人体に悪影響を及ぼすと言うのなら……飲酒は控えめにするべきです。私もそうします。だから皆さんも、一緒に禁酒しませんか? 全ては来たるべき健康な未来の為に」
メイはぺこりと頭を下げた。顔を上げた瞬間、突然いつものあどけなさが戻ってきた。人々は我に返って、思い出した様に拍手を送る。メイが幼げな笑みで返したのを見て、クラリスはほっとした程だった。
「さーて、皆さん!」
軽快な司会者の声が堅い雰囲気を打ち破る。
「お待ちかね、パーティの時間ですよ!」
豪華な料理が運ばれてきた。人々は大喜びで飛び付き、静けさなど微塵も残らず吹き飛んだ。
「クラリスさんクラリスさんクラリスさんっ!」
クラリスは背中に衝撃を感じた。メイの体当たりをまともに食らってしまったのだ。その時、クラリスは魚のスープを注ごうとして、杓子に手を伸ばしていた。
「メイ……」
彼女の手は完全にスープに浸っている。が、メイは特に気にしない。
「クラリスさん、緊張しましたよー! 最初の最初で転んじゃったー!」
「あんたはもっと緊張感を持て! 見ろ、この手を!」
クラリスはスープの滴る手を皿で受けながら、メイの前に突き出した。
「どうしたんですか、それ?」
「なっ……」
二人は気が付かなかったが、クラリスが言葉を失っている内に、何も知らない一人の男性がそのスープを飲み、「いいだしが出てるな」と呟いた。
メイはある一点を凝視する。
「どうかしたのか?」
その視点の先には、高級なワインが……。
今日だけはメイの活躍に免じて許してやる事にし、クラリスは手を洗いに広間を出た。
その直後、夕焼け色の髪の侍女がメイに声をかけた。ルシーヌだ。
「メイさん、パーティはいかがですか?」
メイは憮然として答える。
「……今、言ったばかりなのに、お酒が出てます」
「あら、ごめんなさい。でも、用意された仕事を熟すのが、私達、城に仕える者の掟。それを無視する事はできなかったのですよ」
ルシーヌの類い稀な美貌が、微笑によって輝きを増した。
「お詫びと言っては何ですが、このパーティの後、着替え終わったら、是非私の部屋にいらして下さい。お酒の歴史に関する本があるんです。きっとあなたには興味深いと思いますよ」
「はい、ありがとうございます!」
「おいしいお茶も用意致しますね」
そう言って、ルシーヌはメイの前から姿を消した。反対に、クラリスが戻ってきた。彼女は真っ先に尋ねる。
「今の人は?」
「お城の侍女のルシーヌさんです! すごく優しくて、温かい感じのする人なんですよ。パーティが終わったら、お酒の本を見せてもらう為にルシーヌさんの部屋に寄っていきますから、クラリスさんは先に帰っていいですよ」
それから、メイはパーティを存分に楽しみ、クラリスはそんな彼女を観察して三時間を過ごした。
もう夜の九時、人々も本来の居場所に帰っていった頃である。メイはルシーヌの部屋へ招かれた。彼女の部屋は、さっぱりと美しく整頓されていた。
「少しお待ちくださいね。お茶を持ってきますから」
ルシーヌはメイを椅子に座らせて、台所に向かった。その間に、メイは本棚に目を巡らせる。だが、ルシーヌが来る前に酒の歴史についての本を見つける事はできなかった。
「あの、さっき言ってた本はどれですか?」
「あら、ありませんか?」
ルシーヌは本棚を調べて、小さく声を漏らす。
「すみません。そう言えば、前に友達に貸したんでした。悪いけれど、少しお話をしてから、そのまま帰っていただくしかない様です」
「気にしないで下さい。私、ルシーヌさんとお話ができるだけで嬉しいです!」
メイは心から言った。
「ありがとう。そう言っていただけると私も嬉しいですよ。ところで、メイさんは、一人で旅をしていらっしゃるのですか?」
自身も椅子に座り、ルシーヌはメイと向かい合う。その瞬間から、彼女はメイのへイゼルの瞳を見据えて離さなかった。メイ本人は気付かなかったが。
「いいえ、最初は一人だったんですけど、今はクラリスさんというお姉さんが私のことを守ってくれてます。そうだ、クラリスさんも連れてくれば良かったのになあ……。私って、ちょっと抜けてるみたいなんです」
メイは照れ隠しに茶を飲んだ。ルシーヌと同じ様に、優しい味だった。
「では、なぜメイさんは旅に出たのですか? 旅をするには、お若いように思いますが」
ルシーヌは、あえて「子供」とか「早過ぎる」とか、そういった否定的な要素を含む言葉を使わなかった。
「バイゼンと話し合いをするためです。ルシーヌさん、私、バイゼンはお酒を飲んで魔王になってしまったんだと思うんですよ。ルシーヌさんはどう思いますか?」
ルシーヌの瞳が刹那、冷たく光る。
「……ルシーヌさん?」
メイは不審に思って彼女を見つめた。
「あの方は……バイゼン様は、利己や欲望といった下等な概念を超越した、崇高なる理想をお持ちです。酒に溺れるなど、決してあり得ません」
ルシーヌは、自分の言った事に対して、満足げに頬を緩めた。
「メイさん、この鉱山で働かされている人々を救うには、どうしたら良いと思われますか?」
いきなり質問されたメイは戸惑う。なぜルシーヌがそんな事を聞くのだろう?
「答えは簡単」
紫の瞳でじっとメイを押さえ付けながら、ルシーヌは言った。
「アルタの王を殺し、鉱山を奪えば良い」
「そんな……!」
驚愕するメイを嘲る様に見、ルシーヌは続ける。
「まもなくバイゼン様がそれを実行して下さいます。鉱山なら他にいくらでもあるのに、バイゼン様はここをお選びになった。あの方は、心根の優しいお方です。メイさん、私達の仲間になりませんか?」
戦慄が走った。
クラリスは夜道を引き返していた。メイは先に帰って良いと言ったが、彼女が自力で宿まで帰って来られる訳がないのだ。全く、世話の焼ける連れである。
ようやく着いた城の前に、人影があった。黒いマントを着ている。身長はクラリスより四、五センチ高いだけなので、男性だとしたら、あまり高くない。少年か?
「パーティはもう終わったけど」
クラリスは老若男女に通用する言葉を使った。相手が大人なら、どうされましたか、と続ければ良い事だ。幸い、振り向いたのは十五歳程の少年だった。
「あの城に、誰がいるのか知っているか」
「どうしてそんな事を聞くんだ。アルタの国王とその使いだと思うけど」
メイの事は伏せておく。
「……そうか。魔導士はいないのか?」
クラリスは曖昧な仕草で応じた。この少年は何を考えているのだろう。
「俺の勘が正しければ、あの城の一部屋に、技術が卓越した魔導士と、魔力ばかりが強くて全く技術のない魔導士が一緒にいる。しかも、二人とも俺の知っている人物だ」
「知っている?」
魔力ばかりが強くて全く技術のない魔導士というのは、メイに違いないが、こんな少年と面識があっただろうか。
ふと思い当たる事があった。
『黒いマントの人が助けてくれたんですー』
「あんた、シレジアで子供の魔導士を助けたか?」
「助けたが……。何故その事を知っている?」
やっぱり……。クラリスはあの時、黒いマントのおじさんを想像していたのだった。とにかく、この少年は敵ではない。
「それは私の連れのメイだ。礼を言おう。それにしても、一緒にいる魔導士って誰だ? っていうか、技術が卓越してるなら、魔力の気配を消してるんじゃないのか?」
「俺は、わずかな気配でも感じる事ができる様に訓練されているんだ。その魔力の性質も分かる。だから、ほぼ確実と言って良いが……そのメイという子供と一緒にいるのは、バイゼンの腹心の一人、ソアラだ」
「ソアラって言ったら、あの……」
魔王には腹心が四人いた。今は一人、ザディーラという魔導士がルーヴァに捕らえられている。その席を埋める人物についての情報は無いが、クラリスは残りの三人の情報を掴んでいた。
二メートルを超える大男、モルジェ。年は重ねているものの、その怪力で百キロも二百キロもありそうなハンマーを振り回すらしい。力押しの戦略で有名だ。
金髪碧眼の男、リカルド。美しい容姿を持ち、戦い方も華麗で無駄が無い。個人としては、スピード戦を得意とする剣の使い手である。
そして、冷酷な美女、ソアラ。詳細は誰も知らなかった。蝶の様に舞い降り、蝶の様に飛び去る、掴み所の無い女。彼女は優秀なスパイであり、時には人の命を狩る死神だった。
そのソアラがメイといる。
それが意味するところは……。
「メイは狙われているのか?」
「その可能性が高いな。行くか」
二人は駆け出した。門番はあっさり彼らを通した。
「酒飲み大会優勝者メイさんのお姉様とお兄様でございますね」
きっと、似てない兄弟だなあと思ったに違いない。クラリスと少年はアルタ城に踏み込んだ。
「ルシーヌさん、ルシーヌさんって……?」
メイは怯えていた。一度は母親の面影を重ね合わせさえした人物が、まさか殺しを奨励するなんて……。
「私はバイゼン様に仕える者、ソアラ。あなたの魔力は、あの方の為に使われるべきです。さあ、私と一緒に行きましょう」
「い……嫌っ!」
メイは立ち上がろうとした。だが、体に力が入らない。
「動けないはずですよ。あなたが飲んだお茶には、薬が入っていたのだから」
ルシーヌは、いや、ソアラは微笑んだ。
「う……ひどい……。こんな事するなんて……。何で……どうして……」
「あなたの力は、バイゼン様に捧げるなら貴重な戦力になりますが、そうでないならただの危険因子でしかないのです。さあ、考えはまとまりましたか?」
メイはソアラの眼差しから目を逸らそうとしたが、ソアラは彼女に歩み寄り、それを阻止した。メイは、ソアラに負けない様に見つめ返すしかなかった。
「私は……バイゼンに会いたい。でも、それは仲間になるためじゃなくて、いい人になってくれる様に説得するため……。だから……私は、私は行かない!」
メイは体一杯に衝撃を受けた。ソアラが彼女を椅子ごと蹴飛ばしたのだ。
息が詰まる。床に強く打ちつけられて、椅子とメイは別々に転がった。一瞬何があったのか分からなくなったメイが、やっとの事で上半身を起こすと、そこにはソアラの顔があった。
「残念ですね。それならば死んでいただくしかありません」
ソアラはメイの腹を蹴りつけた。鋭い痛みがメイを襲い、彼女は再び床に崩れる。声こそ上げなかったが、その痛みや恐怖と戦う為に、小刻みに震えていた。ソアラはそんなメイの様子をしばらく眺めた後、口を開いた。
「一緒に来るなら殺さないであげますよ。苦しいでしょう? もう、こんな苦しみを味わいたくないでしょう? だったらくると言い――」
「嫌……で……す」
ごく小さな、儚い声だったが、ソアラにははっきりと聞こえた。それは拒絶。死を望むという意思表示。
「バイゼンの仲間として……人を殺すというのは、バイゼンの罪を重くするって事なんですよ……ソアラさん……」
ソアラの優しい容貌の中で、唯一目だけが冷酷な色に染まる。
「あなたは何も分かっていない。あの方の怒りも苦しみも……」
彼女はどこからか短剣を取り出し、メイの胸、心臓の真上に突き付けた。
「いいでしょう、殺して差し上げます」
ソアラがそれを振り上げた時、鍵をかけておいたはずの扉が開いた。そこに立つのは銀髪の女と――。
「……!」
ソアラは風を感じた。扉から視線を戻すと、もはやそこにメイの姿は無かった。
黒髪の少年がメイを抱えていた。
「シーク……っ!」
「久しぶりだな、ソアラ」
少年シークは、床に落ちているコップに目をやった。
「得意の薬か。だが、部屋の様子からしてそれだけでは済まされなかったらしいな」
「あなたはいつも私の邪魔をするのね、シーク」
「そんな覚えは無いが」
シークとソアラに一体どの様な関係があるのかは分かりかねたが、クラリスにはすべき事があった。
「ソアラ、あんたは魔王の腹心なんだから知ってるはずだ。デランはどこ? 私の弟はどうなったんだ!」
ソアラはクラリスの方を向く。デランという名前に反応したのだ。
「そう。あなたが『クラリス姉さん』ですか。デランに会いたければ、エストカルトまでいらっしゃい」
不敵にもソアラは笑った。
「バイゼン様にいい報告ができそうです。さようなら、お二人さん」
「待て、ソアラ!」
シークは彼女に駆け寄ったが、間に合わなかった。
浅葱色の光がソアラを包み込み、そして消えた。後には金色の光の粒が残るのみだった。
「くっ……逃げられたか」
"移動(アテリース)"。瞬間移動の魔法。もうソアラを追う術は無い。
「せっかく手がかりが掴めると思ったのに……」
クラリスが口惜しそうに呟く。シークは訝しげに彼女を見た。
「おい、連れの心配はしないのか? いつまで俺に持たせておく気だ」
「そうですよ、クラリスさん……。この人誰ですか……?」
「……え」
メイが口を利いたので、クラリスとシークは驚いた。
「お前……、意識があるならあると言え!」
シークは慌ててメイをルシーヌのベッドに下ろした。
「でも……何か変な薬で体動かないし……おなか痛いし……言い出しにくい雰囲気だったんだもん……」
初めてメイとシークの目が合う。
「あ、黒マント君」
「黒っ……? 俺はシークだ」
メイは、シークからクラリスへと目線をずらし、思い出した様に言った。
「そうだ、クラリスさん……王様が殺されちゃうんです……。ルシーヌさんは……バイゼンの仲間で……」
「分かった。もう何も言うな」
声が痛々しかった。考えてみれば、肉体的にも精神的にもかなりのショックをうけているのだ。クラリスは、急にメイが不憫に思えてきた。
「国王に全てを言ってくるよ。あんたは寝てた方がいい」
「……はい。迷惑かけてごめんなさい……」
メイは安心して目を閉じる。今日は色々な事があった。酒飲み大会に出て、優勝して、お城に来て、ルシーヌさんと会って……。本当に、色々な事が……。
半ば気を失うように、メイは深い眠りに落ちたのだった。
何の不安も無い夜が、何の悪意も無い闇が、世界という赤子を抱いて、深く深く沈んでいく……。
「こいつは……こいつの正体は何なんだ?」
シークがクラリスに訊いた。
ここは宿だ。クラリスがエルヴィスに昨日の事件を伝えても、彼は酔っているのだと笑って、聞く耳を持たなかったのである。従って、ルシーヌの部屋も貸してはもらえなかった。クラリスはメイを背負って、シークと共に宿に帰ったのだ。
「正体? 何でそんな言い方をするんだ」
クラリスは、メイがイルミナ族である事を言うつもりは無かった。
「いや……別に。よく似た人を知っているんだ」
「見え透いた嘘を吐くなよ……。それよりあんたは何なんだ?」
「今は魔導士としか言えない。いずれ分かる時が来るだろう」
クラリスは追求しない。しても無駄だという事が、彼の態度から見て取れた。
「お前達はエストカルトに行くつもりか」
シークは徐に切り出した。
「エストカルト? それってさっきソアラが言ってた……」
「バイゼンの本拠地だ」
刹那、クラリスの青い瞳が閃く。
「行くよ、行けるなら。私は二年前に攫われた弟を取り戻す為に、メイは魔王と話し合いをする為に、な」
彼女はそんな事を聞いてどうするんだ、という顔でシークを見る。
「……俺も行く」
「は?」
思いがけないセリフに、クラリスはつい訊き返してしまった。
「俺が案内する。ここからの最短ルートでな。生憎、魔法では自分しか移動できない。お前を弟に会わせてやると言っているんだ。悪い話ではないと思うが」
「それはそうだけど……」
クラリスはシークの高貴な顔立ちを見つめ、言葉を濁した。
確かに、この少年は自分よりも年下だが、メイの様に扱いやすくはない。恐らく、自分がメイを利用しようとしている事など、すぐに見抜くだろう。頼りになりそうだが、それでは困るのだ。
「俺がこいつに魔法を教える」
クラリスの反応が悪いので、シークは続けた。
「こんなに強い魔力を野放しにはできない。正しい魔力の使い方を覚えさせる必要がある。そうでなくては、こいつ自身も周りの人間も危ないからな」
クラリスの中で、小さな葛藤が起きた。言われてみれば、メイはソアラに対して魔法を使わなかった。もしかすると、まだ自分の力を制御し切る自信が無く、木を薙ぎ倒す程の"突風(ヴィエント)"によってソアラを傷付けてしまう事を案じたからかも知れない。つまり、メイはこれからも、力を調節できるようになるまでは人に向けて魔法を使わないという事だ。それはそれで困る。
「……分かった。よろしく頼むよ、シーク」
クラリスは承諾した。シークが自分達に協力しようとする理由は謎だが、少なくとも騙そうとしている訳ではないだろう。
メイが無心な寝顔を晒していた。彼女もそれなりのルックスの持ち主だが、高貴と言うには純朴で、美しいと言うには幼過ぎる。せいぜい、温厚で従順な村娘だ。まさにクラリスは、命令のし易さで連れを選んだのだった。
朝の日射しがメイの瞼を突いた。
「……ん……もう朝……?」
彼女はもぞもぞと始動する。
「そうだよ、メイ。気分はどうだ? 医者は内臓破裂の心配は無いって言ってたけど」
クラリスは結構えげつないことをさらりと口にした。
「一晩寝たら気分爽快! 体もバッチリ動きますよー」
メイが例によってベッドで飛び跳ねる。
「あ」
彼女はシークの存在に気付いた。
「昨日はありがとうね、……リーク君?」
「シークだ」
「そうそう、シーク君!」
この時、シークもクラリスも全く同じ疑問を抱いた。クラリスには「です」「ます」口調なのに、どうしてシークにはため口なのか。特にシークは複雑な心情になった。
「メイ、そいつは今日から旅の仲間だ。あんたに魔法を教えてくれる。言わば先生なんだぞ」
クラリスが、態度を改める様にと思って教えてやる。しかし、相変わらずメイはシークに馴れ馴れしいままだった。
「ところでクラリスさん、王様は何て言ってました?」
クラリスは、信じてもらえなかった事を伝えた後に、
「でも、今日にはルシーヌがいない事に気付いて、信じるはずだ」
と付け加えた。
「そうですか。それならいいんだけど」
「……」
シークは、例え城が兵を用意しても、バイゼンの軍には敵わないだろうと考えていた。もちろん、口には出さなかったが。
「じゃ、出国しようか。いつまでもここにいたって仕方がないからな」
三人は宿を出、国を出て、バイゼンの住むエストカルト城へと向かった。
アルタ城がモルジェの軍に攻め落とされて、国王エルヴィスが亡くなり、鉱山が乗っ取られたという事を彼らが知ったのは、それから十日後の事だった……。
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