2010年
※専門家でも何でもない、一介の大学生が授業で作成したレポートです。この文章を「参考文献」にしたり「引用元」にしたりしても、あなたの論文の信頼性を高めることはできません。ご注意ください。
自然学者ヘラクレイトスは、「万物は流転する」という言葉が表すように、「事物には変化するという秩序がある」と考えた。彼は変化と闘争を万物の根源とし、その象徴を火とした。
アルケーとしての火は、常に変化しながら全体として同一であり続けるコスモスを説明するものである。火が秩序に従って一定量燃えたり消えたりするプロセスは、生成の永遠の動揺を示しており、動揺することによって世界の調和を保っている。
ヘラクレイトスが考える調和とは、運動や変化のない同調的なものではなく、燃える炎と消える炎、光と闇、善と悪など、二つの対立するものの力関係が揺れ動きながら、総合的にはバランスを保って築いている緊張関係のことであった。
一見動いていないように見えるものでも、内部では常に対立するものが闘争している。万物は多様なものとして現れながら統一性を保っている。この変化を司っているのが「ロゴス」である。
彼は、ロゴスを知るためには、まず自分の魂を探求しなければならないと考えていた。
彼によれば、魂は生命原理であるだけでなく知的原理であり、健全な思慮はロゴスを理解するにあたって最大の認識能力になる。
彼は人間の認識力で世界のあり方を見つめようとしていた。
一方、パルメニデスはエレア学派の代表人物である。
彼は、万物は永遠に変化することのないものであると考えた。
変化とは、有が無になり無が有になること、また、「AがAでない」という矛盾した状態を意味することであるが、感覚的にそのようなことが起こっているように感じられても、理性的に考えればそれはおかしい。在るものは今も昔も在り続け、無いものは今も昔も無いままであるはずだというのが彼の意見である。それゆえに彼は、世界を不生不滅で不変不動な一つの完全体であるととらえた。
彼はタレス以来の自然学を批判し、変化も運動も多数性も、不完全な存在たる人間の感覚が生む憶測(ドクサ)であると一蹴した。
両者の違いは、大きく分けて二つある。
一つは世界を成り立たせている秩序を変化とするか、不変とするかだ。
ヘラクレイトスの言う対立は、事物の性質が左右に揺れ動いて闘争している状態であるが、本質的には右も左も同じである。
しかし、パルメニデスにとってはそれらは別物であるため、変化とは性質の左右が変わることではなく、それが何であるのか自体が変わってしまうことなのである。
もう一つは、人間の目で見た知覚的な世界を信じるか否かである。ヘラクレイトスは人間の魂をロゴスを探求するための力だと考えていた。つまり、ある程度知覚を信用していた。
反対にパルメニデスは理性や論理を重視し、感覚的にはありえないことでも、理性的に説明がつくことならばそれを真理としていた。