※専門家でも何でもない、一介の大学生が授業で作成したレポートです。この文章を「参考文献」にしたり「引用元」にしたりしても、あなたの論文の信頼性を高めることはできません。ご注意ください。

 

※参考図書として、「古代中国天命思想の展開――先秦儒家思想と易的論理――」(著・佐藤貢悦)を与えられています。

 

2012年2月28日

孔子の政治倫理思想で日本を救えるか

執筆者:夢前黎

 

1.初めに

 

 最近は「日本の政治は駄目だ」と嘆く人が多いが、どうしたら良いのかについて具体的な案を出せる人は少ない。民主制なのだから、理論上は、選挙で選ばれた国会議員、国会議員に選ばれた総理大臣、総理大臣に選ばれた閣僚たちは民意の代表であり、彼らの行う政治は民意と一致しているはずである。しかし国民は文句ばかり言う。「選挙で誰に投票してもいいことがない」と言う人もいる。
 民主制を持続させていくための制度がうまく機能していないのか、それとも初めから、民主制には国民の納得の行く政治を実現する力がないのか。どちらにしても、現在の日本の政治制度を見直すことが必要とされる。そのような時、他の政治形態との比較は一つの手掛かりとなる。
 本レポートでは、孔子の倫理思想及び政治思想が日本の政治問題を解決するのに役立つかどうかを考える。

 

 

2.孔子の倫理思想

 

2-1 孔子の身分

 

 孔子は士階級に属していた。
 王、侯、卿、士、庶民という序列の中で、没落した支配階級と出世した庶民という「中間遊離の層」が士となり、士階級は量的にも質的にも急速な発展を遂げた。
 貴族の教養と士としてのプライドを持った彼らは、命懸けで「義」を実践しようとした。義とは、その状況において最も自分の志にふさわしい行動を取ることである。孔子を中心とする儒者たちは、仁を表すことを志す士であった。

 

 

2-2 仁

 
 仁とは他者に対する同情や共感の心である。儒教においては、万物は天地(宇宙・世界)から生まれたが故に、万物に共感することができるという前提がある。孔子は、誰もが仁を持っていて、仁を行動で表すことができると信じていた。
 仁の内容として重要なのが、忠と恕である。忠とは自分自身への誠意であり、自分の本心と向き合って内省することで実現される。恕は端的に言うと思いやりであり、自分に向けるのと同じくらいの真心を他者に向けることで実現される。

 

 

2-3 社会秩序を守るための礼制

 

 孔子の時代では、僭上が横行していた。これは、それまで人々にルールを守らせる力となっていた天命が失墜したためである。天命の正体は、政府が国民を従わせるために強権によって作り出した偽物の天意だった。政府が強権を失い、天命が失墜した時、強制力を恐れて従っていただけの民衆にルールを守らせるものはなかった。
 孔子は、僭上は国法と習俗的倫理規範を否定すると同時に、身分制に基づく社会秩序を崩壊させる行動であるとして、厳しく批判した。身分の低いものが分不相応に高位の者であるかのような振る舞いをし、ヒエラルキーに動揺を与えると、国家に動乱が起こる。孔子はそれを懸念し、聖人である周公の礼制を復活させようとした。
 執拗に周公の遺制を守ろうとした孔子を「喪家の犬」と呼んで風刺する者もいたが、それは的外れな見解である。孔子の言う周王朝は、現実の諸国家の一つとしての周ではなく、「理想的復興を遂げた周」という想定的なものである。つまり、理想の国家を周と呼んだのだ。とすれば、周公の遺制は完璧な体制のことを指す。完璧なのだから、これに従うことが最善であると判断される。周公を理想とする考え方は、後の儒者にも引き継がれていった。
 天命が失墜した以上、人々に礼制を守らせるためには代わりの何かが必要となった。それも、例え政府に権力がなくなったとしても人々の中に存在し続ける「自己規定」が望ましい。政府に強制されて守っているルールは、強制力や監視の目がなくなった時簡単に破られる。しかし、本人が「これが正しい」と確信したことは、なかなか変えられないのだ。確信犯の行動を見れば分かる通り、自己規定は法よりも強い力を持つ。
 孔子は、天命の代わりに仁によって礼を道徳規範とすることを理想とした。これは、宗教的概念である天命から、道徳的概念である仁への移行と見ることができる。
 孔子が自己規定に目を向けたのは、彼が士階級に属していたことと関係があるだろう。士は士たらんと意識していた。常に自己の内面と向き合い、自分はどのような人間でありたいかということを考えていたた彼らの行動原理は「義」だ。これは自己規定に他ならない。儒者は仁者たらんと意識することで、より倫理的に優れた人間になろうと努力していた。

 

 

2-4 孔子の理想とした政治

 
 孔子は徳治主義者であり、一言で表すと「修己治人」を理想の政治形態としていた。
 まず、為政者が有徳者となる。有徳者とは、仁愛に満ち溢れ、民衆に共感する心が強いために権力におぼれることはなく、自分だけでなく他者の人格もより高みへと導こうとする人のことである。為政者が民衆を教化することで、全員を有徳者にする。全員が人格的に優れていれば争いは起きず、礼も保たれ、国家は平和な状態で安定するというわけである。
 万物が天の所産であり、皆が等しく忠恕を持つと信じた孔子は、適切な教育が行われれば誰でも有徳者になれると信じていたのだろう。

 

 

3.私の考え

 

 何をもって礼とするかは地域によって違うが、僭上が頻繁に行われている状態は、どの地域であっても統一規範のない「乱世」であることに変わりはない。統一規範のない社会は安定性を欠き、上下関係における礼が軽視される状態では皆で行動する際に効率が落ちる。例え、万人が平等であると信じている人でも、集団の中で人々の役割を上司と部下に分けることを否定することはあまりない。上司が適切な命令を出し、部下が上司の言うことをきちんと聞けば、物事が順調に進むということを知っているからだ。もし部下が僭上を行って、上司の命令に背いたり、自分が上司であるかのように振舞ったりすれば、集団は混乱するだろう。
 何をもって礼とするかは問題の本質ではない。また、形だけ礼の作法を実現させても仁が伴っていなければ意味がないし、どれだけ心に仁を持っていても、礼を実践しなければ他者に表現することができない。孔子は、仁を伴った礼を実践することで、正常で安定した上下関係を築き、国家の調和を実現しようとしたのである。私は、この思想に関しては異論はない。
 現代の日本国民は、比較的礼儀正しいのではないかと思うが、仁という内実が伴っていない可能性はある。隣人の顔や名前を知らないといったことはよくあることで、昨今地域共同体の崩壊が懸念されている。仁とは人間関係の中で発揮されるものなので、人間関係が疎かになっている場合、仁も錆つくだろう。しかし、3月11日の大地震を経て、日本人は絆の重要性を再確認した。今後、日本の礼と仁は向上していくと私は思っている。ただ、それだけで政治が改善されるかというと、甚だ疑問である。思うに、民主制ではいくら民衆が有徳になっても全員が有能にはなれないことが問題なのだ。犯罪は徳で防止できるが、経済や災害対策は徳だけでは立ち行かない。
 孔子の理想の政治形態は有能かつ有徳な王の存在を前提とした君主制である。皆の幸せを願い、且つそれを実現できるだけの能力のある人物がいるならば、私はぜひともその人に王になってもらいたい。けれどもそのような逸材は実在するのだろうか。また、どんなに優れた王も老いには勝てず、世代交代の時が来る。一世代名君が在位しているだけでも奇跡的なことなのに、何世代にもわたって優れた王が誕生するというのはあり得ないことと言ってもいいだろう。次世代の王となる人物に幼いころより儒教的な教育を施せば、理論的には王は常に有徳者であるはずだが、中国の歴史がそれが不可能であることを証明している。
 有徳であるだけでいいなら、教育システムを改善して民衆を教化することは可能だと思う。現状のままでも、私は現代の日本人に徳がないとは思わない。中国で起きた、通行者がひき逃げされた女児を無視した事件は、人に親切にすると不利益をこうむるという社会システムの結果である。一方日本では、外国と比べて財布などの遺失物が交番に届けられる割合も高いというし、善人が損をしない制度にはなっている。現代の中国では、子供は「困っている人がいても手を貸してはいけない」と教わるそうだが、日本では「困った時はお互い様」と教わる。「お互い様」という表現に、他者への共感、つまり仁の心が感じられる。
 それでも日本の政治はよくならない。先ほども言ったように、徳だけでは政治はできないのだ。
 民主主義はその性質上、国政を国民全員の責任とする。しかし、国民全員が責任を取れるだけの能力を持つわけではないのではないだろうか。学問に向かない人がいるというのは事実であり、国民全員を政治学のプロになるように教育することは不可能だ。政治に詳しくない国民が、本当に正しい政策を掲げる政治家を選べるはずがない。「無能な政治家」という言葉をよく耳にするが、政治に詳しくない国民が政治のできない政治家を選んでいるのなら、それは民意が反映されている証なのかも知れない。しかしそれでは、民主制としては成功していても、国家の発展と安全を考えるという政治の本質を見失っている。
 能力が平等でないのにも関わらず選挙権を平等にしてしまったことが、民主主義国家の失敗だったのではないか。一度平等な政治権を与えられると、民衆はその平等性を崩されることを恐れるようになる。もしも学力などで選挙権の有無を分けようとすれば、不平等だと言って反発する者が大勢現れる。権利を奪われた者は、義務を果たさなければならないという意識も薄れて、国家に従わなくなるだろう。そもそも選挙権が成人全員にあることを定めたのは憲法であるから、学力の低い者から選挙権を剥奪する憲法改正が国民投票で過半数の同意を得られるはずもなく、もはや日本の民主制の形態を変えることは不可能である。
 孔子の思想で日本の政治を改善しようとした際に浮かび上がる問題は、大きく分けて二つある。一つは、有能有徳な君主による治世は理想的だが、その実現が難しいと知った民衆は、能力も徳もない君主に独裁されるよりは民主政治の方が良いと主張すること。そしてもう一つは、一度民主制になったら、もう君主制は受け入れられないということだ。国家機能が崩壊するその時まで、日本は民主主義のまま緩やかに滅んでいくのだろう。

 

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