※専門家でも何でもない、一介の大学生が授業で作成したレポートです。

この文章を「参考文献」にしたり「引用元」にしたりしても、あなたの論文の信頼性を高めることはできません。ご注意ください。

 

2013年7月3日

(2012年の夏休みの宿題だったものを今さら掲載)

アリストテレスの友愛論からいじめ問題を考える ~本当に自分を愛するということ~

執筆者:夢前黎

 

※読んだテキスト
朴一功(2002年)『二コマコス倫理学 西洋古典叢書 第Ⅱ期第22回配本』京都大学学術出版会p354~446

 

 

1.近しい人ほど愛するべきである

 

 アリストテレスの友愛論において特徴的な点の一つは、友愛の度合いが共同関係の度合いに応じて変化することを、当為としても扱っている点だ。他人より隣人を、隣人より家族を愛するのは自然なことであり、また、そうしなければならないのである。彼は「より深い友人関係にある者に対しては、不正である度合いも増大する」「他人を殴るよりも父親を殴る方がひどい」(p381)とも主張している。


 現代日本においては、一般的に、相手によって態度を変えるというのは悪いことだと認識されている。誰にでも分け隔てなく接するのが美徳であり、教育現場では「みんな友達」という言葉が好まれる。1973年には尊属殺人罪が廃止された。現代日本の価値観からすると、アリストテレスの倫理は差別的・家父長的で、非理性的な情動によって身内贔屓をしていると捉えられるかも知れない。


 国民の平等性が重視される社会で生きる日本人と、身分差の存在が当たり前だった社会に生きるアリストテレスとでは、考え方が違うのは必然的なことだろう。だが、単に文化の違いということで片付けず、私はどちらが妥当か検討したい。


 まず、近しい者ほど愛するべきだという点については、アリストテレスに賛成である。長い時間を共に過ごすというのに、相手の愛すべきところを多く見つけて敬愛しないのであれば、自分は大して好きでもない人間と共同関係を持たなければならないことに苦痛を感じ、相手も自分の良さを理解してくれない人間と付き合っていくことに苦痛を感じるからである。

 例えば、家族に愛すべきところがまったく見つからず、家族も自分のことを愛してくれないとすれば、それは大変惨めな生活となる。共同関係にある間柄なら友愛に必要な類似性もあり、知的レベルにもそう差はないはずだ。探せばいくらでも愛すべき点が見つかるだろう。


 近しさと不正の度合いの比例関係については、見ず知らずの通り魔に刺されることも、信じていた仲間に裏切られて刺されることも、どちらも比べようのないほど理不尽なことなので判断が難しい。

 しかし、もし他人と友人のうちどちらかしか助けられないという状況に陥ったとしたら、友人を選ばないというのは裏切りにも等しいことだ。このことから、赤の他人に傷つけられたり見捨てられたりするより、関係の深い人物からそれをされた方が苦痛が大きいということが分かる。


 以上より、共同関係の度合いが大きい人とほど、より一層の友愛をもって付き合うべきだというアリストテレスの意見の方が、博愛主義よりも妥当であると思われる。

 

 

2.人は自分自身を最も愛さなければならない


 アリストテレスは、「人は自分自身を最も愛さなければならない」(p428)という。それは、誰よりも自分自身こそが最も近しい存在であり、最大の友だからである。


 一生を自分の愛する人物と共に過ごせる喜びと、一生を自分の嫌いな人物と共に過ごす苦痛を考えれば、自分を愛することの重要性は明白だ。自分を愛せない人生は悲しみに満ちている。


 また、後述するが、自分を愛する人は「最も美しいことを行うべく奮闘」(p430)するので、結果的に「公的にはしかるべき適切なことがすべて行われる」(p430)ことになる。したがって、自分自身を愛せば、自分も他のすべての人も幸福になれるのである。

 

 

3.本当に自分を愛するということ


 一般的に「自己愛」というと、「金銭や名誉、身体的快楽をより多く取ろうとする」「魂の非理性的部分を満足させる」(p428)といった意味で捉えられ、非難すべきものだと考えられている。

 しかしこれは本当に自分を愛しているとは言えない。何故なら、ただ欲求を満たしているだけで、自分自身の人格を愛しているわけではないからだ。


 アリストテレスは、より自己を愛する人だと考えられるのは「自分の最も重要な部分に愛情を抱き、それを満足させる人」(p429)であるという。

 その手段は、「自分自身のために最も美しく、最も善きものを手に入れ」(p429)ることだ。

 自分の最も重要な部分とは魂(人格、精神、理性、知性)であり、最も美しく善いものというのは、正しさ・徳を指していると考えられる。


 私の考えでは、惰性や目先の欲求に囚われず、知性(ヌース)を満足させようと思うことさえできれば、多くの人は自然と「品位ある人」になれる。

 まず、2で書いた通り、理性的に考えれば、真に幸福を得るには自分の人格を愛することが必要だとわかる。知性は、自分に愛されるために、自分を自分が好きだと思う人物像に近づけようとする。自分が普段他人に求めている理想を、自分自身で身につけようとするのである。


 よほどひねくれた価値観の持ち主でもなければ、好きな人物像とは概ね、人によくする人、美しい人であろう。そのため、知性の欲求に素直に従えば、人は美しくなろうと努力し、徳を身につけていくことになるのである。

 

 

4.いじめをする者の心理状態と打開策


 近年、日本では学生のいじめ問題が盛んに議論されている。私もアリストテレスの友愛論から問題を考えてみようと思う。


 私は、いじめをする者の心理状態として次の三つを想定した。


A. 非理性的な欲求に流されているだけで、自分のしていることの意味はよく考えていない。
B. いじめは悪いことだと思っているがやめられず、そんな自分が内心不快である。
C. いじめを悪いことだと思っておらず、今の自分が好きである。


 Aは、まだ愛や人生について深く考えたことがなく、自分の人格を愛するという発想もないために、弱い者をいじめて優位に立ったような気分を味わうという幼稚な快楽の得方をする。理想の人物像についてもあまり考えたことのない人々だ。


 私は彼らに、本当に幸せになるためには自分の人格を愛する必要があることを教えた上で、この問いを投げかけたい。


いじめをする自分を好きになれますか? いじめをする人が『愛すべき者』だと思いますか? あなたの生涯の伴侶(自分自身)がいじめっ子で満足できますか?」


 一回の説教でいじめをやめるとは思えないが、これでAはBかCに移行するだろう。

 


 Bは、人によくする人、美しい人を理想の人物像としながらも、自分がそれになることは諦めていて、目先の快楽や保身のためにいじめを続けている人々である。自分を愛すること、自分に愛されることができないと絶望しているために、自暴自棄になっているのである。

 彼らに関しては、悩みや問題に対して適切なアドバイスができれば、自分を愛するための一歩を踏み出させることができるかも知れない。

 


 Cは、一般からはずれた価値観を持つ人々である。

 彼らは、人によくする人ではなく、暴力によって人を支配する人物を好む。そのような人物を尊敬し、目標としているので、いじめを悪いことだとは思っていない。弱者を踏みつけにするのは「かっこいい」ことなので、いじめっ子である自分を誇りに思っている。例え自分が暴力を受けようとも、力の強い者が正しいのだと納得し、暴力が嫌なものだという発想さえなく、自分もより一層の暴力を身につけたいと考える。(より強い者の暴力を尊敬しないならば、その人は理想の人物像を持たないただの我儘な子供なのでAに属する)


 私は絶対的な正しさというものはないと考えているので、その価値観が悪いとは思わない。誰が何をしようが、そこには善も悪もない。しかし、我々が心を持つ知性的存在である限り、人の行為に対しては主観的な価値判断が生じる。


 ヒトが好むものには傾向性がある。多くの人は、自分に暴力を振るう人より、自分によくしてくれる人を敬愛する。暴力より友愛を高く評価する。暴力を不正とみなし、友愛を徳(正しさ)だと考える。


 社会的に人の行為がどのように評価されるかは、結局のところ多数決なのだ。それに逆行する価値観を持つ者は、周囲から受け入れられない。人と価値観が違いすぎるので友愛も生まれない。よって、孤独で不幸な人生が予想される。


 しかし、そのことを説明したところで、幼少期から培ってきた価値観を変えられるわけでもない。そこで、Cに対しては、あえて有用性や快楽のための友愛を奨めることを提案する。いじめなどせず、周囲の人々と仲良くした方が有益であるということを教えるのだ。

 性格のゆえに愛着を寄せ合うことはできなくても、有用性や快楽のゆえに愛着を寄せ合うことなら彼にもできる。アリストテレスの言う真の友愛ではないが、いじめを続けさせるよりは誰にとってもよい結果となるだろう。

 

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