2010年

神話と理性

※これは大学の授業で書いたレポート用の文章です。

 『国家』とか『エルンスト・カッシーラー』とか、そういう単語についてはご自分でお調べください。

 

プラトンは、著書『国家』の中で、人の知性を超えた話をする時に神話が必要になると説明している。

私もそれに同意する。人間は分からないことがあると不安になる生き物だから、どうしても理性では解決できない時は、本能的に理由(=神話)を作ってしまうのだ。

 

理性を超えた問題には、単純に理屈が分からない場合と、理屈は理解できても心情的に納得できない場合がある。どちらも神話を生み出す要因となりうるが、科学が発達した近現代においては後者の方が顕著であるように思う。

例えば、第二次世界大戦中においては、日本人は「日本は神の国であり、試練を乗り越えて大東亜共栄圏を築いてアジアを導かなくてはならない」と信じ、戦争の苦難を乗り越えようとした。

また、第一次世界大戦の傷跡と賠償金の支払いに苦しんでいたドイツ人は、ナチスの「アーリア人は最優の種族であり、試練を乗り越えて多種族を支配しなければならない」という神話を信じた。

これらは理性では受け入れがたい不条理な苦しみに「神から与えられた試練」という理由づけをした結果であると考えられる。

前者の例としては、日本神話のイザナギ黄泉国訪問のエピソードにて、当時の人々には理屈が分からなかった「死」と「人口増加」に理由がつけられている。

 

だが、現代において、科学で解決できるであろうと予測される問題は神話に全くつながらないかというと、そういうわけではない。

研究者が理論を探求するうちに、偶然では説明のつかない調和を感じて、神とも呼べる偉大な存在(筑波大名誉教授村上和雄氏によると、「サムシング・グレート」)を信じるようになるという話を聞いたことがある。科学的な答えがあると知っていても、答えがあること自体の理由は理性で説明できず、そこに神話を見出すのだ。

エルンスト・カッシーラーの言うように、神話は人の理性に限界がある限り存在し続けるだろう。

 

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