卒業論文 日本人の「食」の思想
私はこれまで、現代日本人にとって納得のいく「食」との向き合い方を考えてきた。その結果、弱肉強食は「善でも悪でもない自然の営み」であると意味づけられたが、人間の高い共感能力によって引き起こされる「動植物への同情」については、いまだ剥き出しの状態で眼前に置かれたままである。本論文の締めくくりとして、人間の幸福のために殺されるものたちへの憐憫に、私なりの意味づけを与えたい。
食べられるものへの憐れみ、食べなければ生きていけないことへの悲しみはなくせない。人間にできるのは、自分は他者を犠牲にしてでも快適に暮らしたいのだと割り切り、動植物の利用に自覚と覚悟を持つことだけだ。肉食動物が平然と肉を食べ、草食動物が平然と草を食べている一方で、人間は憐れみに苛まれながら生きるしかない。これは食事だけでなく、人間社会での競争についても言えることである。
善でも悪でもない自然の営みに、人間だけが悲しみを覚えるのだ。
では、人間は不幸な生き物なのだろうか。私はそうは思わない。
動植物をかわいそうだと思える感性があるからこそ、人間は共同社会を築き、愛し合い、幸福の意味を考えることができる。他のどの動物よりも悲しみを知っている心で、他のどの動物よりも深い喜びを感じることができる。大量生産・大量消費が本当の幸福ではないと感じるなら、もっと納得のいく幸福な社会を目指すこともできる。
動植物の殺生は悪ではない。そして、動植物に憐れみを感じることもまた、決して人間にとって悪いことではない。心の痛みに蓋をしてしまうのではなく、自分がそのような心を持っていることの意味を考えることで、少しだけでも、生きることを肯定的に捉えられるようになるのではないだろうか。
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―― 【 目 次 】 ――
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要約
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序 | |
第一章 | 屠畜を経験しなかった日本 |
第一節 肉食禁止令の真意 | |
第二節 穢れ観の肥大化 | |
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第二章 | 殺生と向き合う思想の欠如 |
第一節 「かわいそう」との出会い | |
第二節 西洋における屠畜の正当化 | |
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第三章 | 殺生それ自体が残酷であるという意識 |
第一節 日本と西洋の動物観の違い | |
第二節 菜食主義に「偽善」を感じる日本人 | |
第三節 アニミズムと如来蔵思想 | |
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第四章 | 現代日本人は「食」とどう向き合うか |
第一節 無意識の殺生から自覚的な殺生へ | |
第二節 人間、動物、植物を同じ次元に置く | |
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結 ★現在地 | |
参考文献 | |
謝辞 | |
資料1 | ネット上での菜食主義議論 |
資料2 | 質疑応答(口頭試問) |