卒業論文 日本人の「食」の思想

第二章 殺生と向き合う思想の欠如

第二節 西洋における屠畜の正当化

 西洋では、日本とは全く異なる食文化が展開されていた。稲作が始まった弥生時代から穀物を主食としていた日本▼[38] と違い、西洋では主食・副食の区別がなく▼[39] 、肉が重要なカロリー源だったのだ。

 鯖田豊之は、「日本では肉食はぜいたく」▼[40] で、「ヨーロッパではパンはぜいたく」▼[41] であったことを、風土的条件の比較から明らかにしている。日本には水稲栽培に適した高温多湿な気候がある代わりに、牧畜に適した土地の広さがなく、牧草となる草も生えない。一方、西洋の土地には牧草が勝手に生え、放牧しておくだけで家畜が育ったが、気候は穀物栽培に適さなかった。

 西洋では穀物だけを食べて生きていくことはできず、肉が常食とされた。身近に生きている家畜、しかも人間に近い哺乳類を、大切に育ててから屠殺する。そのような日常を送ってきた西洋人は、嫌でも殺生の問題と向き合わざるを得なかった。そこで生まれたのが、「人間と動物のあいだにはっきりと一線を劃(かく)し、人間をあらゆるものの上位におく」▼[42] 思想である。鯖田によれば、そうした思想的立場を最も鮮明に打ち出したのがキリスト教であった▼[43]

 

 旧約聖書▼[44] の創世記9章2-3節には、次の通り神の言葉が記されている。

 

 地のすべての獣と空のすべての鳥は、地を這うすべてのものと海のすべての魚(うお)と共に、あなたたちの前に恐れおののき、あなたたちの手にゆだねられる。動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。わたしはこれらすべてのものを、青草とおなじようにあなたたちに与える。▼[45]

 

 この言葉が、本当に神によってもたらされたのか、それとも人間の恣意によって生み出されたのかということは、ここでは問題ではない。これが人間にとって都合のいい作り話であるなら、牧畜民族は動物を殺して食べることに肯定的な意味づけをしたかったのだという証拠になるし、本当に神がわざわざ「動物を食べてよい」と明言したのであれば、それはそう言わなければ人間が殺生を気に病むことを先見していたからだ。どちらにせよ、西洋では屠畜に対する抵抗感を減じる思想が希求されていたことが分かる。

 高い共感能力を持つ人間は、食用家畜にも同情してしまう。しかし、肉を食べなければ生きていけない環境下で、屠畜は残酷だ、屠畜をする自分は残酷だ、と思い悩みながら生活することは現実的ではない。そのためキリスト教は、神>人>自然という明確なヒエラルキーを人々に提示し、殺生を正当化する役目を担った。そういう意味でも、キリスト教は西洋人の心の支えだった。

 

 「正当化」というと、「西洋人は殺生の罪を正当化して平気な顔で動物を貪り食っている」と非難しているように聞こえるかも知れないが、それは誤解である。第一に、私はこの論文において殺生が罪悪であることを前提とはしていない。第二に、動物への憐みは、日本より西洋の方が強いと私は見ている。西洋人は「正当化」しなければ耐えられないほどの罪悪感に直面し、おそらく心のどこかでは動物を憐れみながら食べていた。そのことを示唆するように、農業革命で穀物生産量が増えると西洋では菜食主義が広まっていく▼[46]

 一方日本人は、第一節で述べた通り、近代になるまで殺生について考える機会を得なかった。畜産業が始まっても、屠殺は食肉工場で行われるものであって、工業化以前の西洋のように一般人の目に留まるものではなかった。それゆえ、たまに宮沢賢治のような人が現れることはあっても、全体としてはいまだ殺生と向き合ったことがない。

 

 私の考えでは、「殺生と向き合うこと」は、必ずしも「罪と向き合うこと」を意味しない。屠畜を正当化することも、キリスト教的世界観をもって殺生と向き合った上での意味づけだ。罪と見なして食べないことも、罪ではないと見なして食べることも、罪と見なしながら食べることも、殺生への罪悪感に対応する方法として成立し得る。

 日本人は殺生と向き合う思想を持たないまま肉食の文化を受け入れてしまった。しかし、人間が家畜にも同情してしまう性質を持つ以上、日本にも殺生に対して意味づけを行う思想が必要なのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

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―― 【 目 次 】 ――

 

要約

 

   
第一章 屠畜を経験しなかった日本
  第一節 肉食禁止令の真意
  第二節 穢れ観の肥大化
 

第三節 文明開化と畜産業の開始

 

第二章 殺生と向き合う思想の欠如
  第一節 「かわいそう」との出会い
  第二節 西洋における屠畜の正当化  現在地
 

第三節 仏にもすがれない

 

第三章 殺生それ自体が残酷であるという意識
  第一節 日本と西洋の動物観の違い
  第二節 菜食主義に「偽善」を感じる日本人
  第三節 アニミズムと如来蔵思想
 

第四節 肉も野菜も食べ続ける

 

第四章 現代日本人は「食」とどう向き合うか
  第一節 無意識の殺生から自覚的な殺生へ
  第二節 人間、動物、植物を同じ次元に置く
 

第三節 罪悪感の正体

 

 
参考文献  
謝辞  
   
資料1 ネット上での菜食主義議論
資料2 質疑応答(口頭試問)
 
 

 

 

【脚注】  ▲[番号]をクリックすると元の場所に戻ります。

 

 

▲[38] 渡邊實『日本食生活史』吉川弘文館,1964年,p.36

 

▲[39] 鯖田豊之『肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見』中央公論新社,1966年,p.10

 

▲[40] 同上,p.24

 

▲[41] 同上,p.33

 

▲[42] 同上,p.58

 

▲[43] 同上,p.58

 

▲[44] 旧約聖書はヘブライ文化の中で生まれたが、ユダヤ人も牧畜民族であり、屠畜に関して同じ問題を抱えていた。また、旧約聖書はキリスト教においても正典なので、その内容はキリスト教の思想とも言える。

 

▲[45] 共同訳聖書実行委員会『聖書 新共同訳 ― 旧約聖書続編つき』日本聖書協会,1987,1988年,p.(旧)11

 

▲[46] 農業革命は18世紀に起きた。英国ベジタリアン協会は1847年に発足した。

 

 

 

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