卒業論文 日本人の「食」の思想

 生きるためには、動植物を殺して食べなければならない。しかし、一般的に日本では「生き物を殺すこと」は悪いことだと考えられている。つまり日本人は、殺生は悪いことだと思いながらも、毎日動植物を殺して生きている。
 パッキングされた食材を見慣れている現代日本人の多くは、「生き物」を殺して「食べ物」にしているということを普段意識しない。そのために罪悪感を感じずに済んでいる面もあるだろう。だが、少し自分の口にするものがどこから来るかを考えれば、嫌でも動植物の殺生と向き合わざるを得なくなる。その時現代日本人は何を考えるのだろうか。
 例えばキリスト教圏では、「自然は神が人間の道具として用意したものなので自由に使ってよい」と考えられてきた。よって、動植物を利用することは人間の権利であると考えることができる。浄土真宗の信徒であれば、煩悩や罪悪を抱えたままでも、阿弥陀仏に帰依すれば救われると信じることができる。しかし、現在の日本には、神仏に対して明確な信仰心を持っている人は少ない。殺生に対して罪悪感を持ちながら、神にも仏にもすがれない現代日本人は、他の生命を奪って生きるということをどのように意味づけることが可能だろうか。
 本論文ではまず、先行研究を辿ることによって、日本の食文化の歴史を概観する。次に、西洋との比較を行いながら日本の生命観の特性を探る。かつての日本人が動植物とどう接してきたかを明らかにした上で、これからの日本人の「食」の思想について考えていきたい。

 

 なお、アイヌ文化と琉球文化については、筆者の能力を超えるので今回は扱わない。

 

 

 

 

 

 

 

 

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―― 【 目 次 】 ――

 

要約

 

  現在地
   
第一章 屠畜を経験しなかった日本
  第一節 肉食禁止令の真意
  第二節 穢れ観の肥大化
 

第三節 文明開化と畜産業の開始

 

第二章 殺生と向き合う思想の欠如
  第一節 「かわいそう」との出会い
  第二節 西洋における屠畜の正当化
 

第三節 仏にもすがれない

 

第三章 殺生それ自体が残酷であるという意識
  第一節 日本と西洋の動物観の違い
  第二節 菜食主義に「偽善」を感じる日本人
  第三節 アニミズムと如来蔵思想
 

第四節 肉も野菜も食べ続ける

 

第四章 現代日本人は「食」とどう向き合うか
  第一節 無意識の殺生から自覚的な殺生へ
  第二節 人間、動物、植物を同じ次元に置く
 

第三節 罪悪感の正体

 

 
参考文献  
謝辞  
   
資料1 ネット上での菜食主義議論
資料2 質疑応答(口頭試問)
 
 
 
 

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