卒業論文 日本人の「食」の思想

第一章 屠畜を経験しなかった日本

第二節 穢れ観の肥大化

 神代より日本には、死を穢れとする価値観が存在していた。例えば日本神話では、黄泉の国へ行ったイザナギが、蛆の湧いたイザナミの姿を嫌悪して逃げ帰り、穢れを落とすために禊を行ったことが知られている。

 中村は、国土を清浄に保つために酒肉を禁じたことについて、「このような清浄志向は、仏教以前の土着的神衹祭祀のもとで最重要視されていた「斎戒」の観念、すなわち、神々を祀る場合、その祀りの場を清浄にたもつと同時に、祀りを行なう人の心身をも清浄にたもつこととして、既存の心性であった」▼[14] と説明している。

 しかしそれは、日常生活での肉食まで忌避させるほどのものではなかったはずだ。わざわざ肉食禁止令が出されたということは、普段は肉食が行われていたということを意味している。普段食べているものだからこそ、食べないことに儀礼的な意味が生じたとも推察できよう。そもそも肉は酒に並ぶ美食であったのだから、喜ばれこそすれ、肉食禁止令以前に忌み嫌われていたとは考えられない。よって、肉食を忌むべきものだとする価値観は、神祇信仰だけでは成立しなかったと考えられる。

 

 原田によると、触穢思想の形成は中国仏教▼[15] が日本に受容される中で起きたことであるという。原田は「仏教の不殺生戒や不浄の観念が、神仏習合の進展とともに穢れというかたちで神道に入り込むと、穢れが神への信仰の障りになると信じられるようになった」▼[16] と論じている。つまり、神道の「死は穢れである」という意識と、仏教の「殺生は悪いことである」という意識が結びついた結果、死体を忌避する思想が肥大化していったのだ。

 酒肉を断って豊作を祈る政策方針が取られていたことは前節で述べたが、仏教もまた鎮護国家のために政策的に取り入れられていた。聖武天皇が国分寺建立の詔を出したことは有名である。神祇信仰によって国土を清浄に保つことと、仏教の力で国を鎮護することは、日本を守るために重要なことであると捉えられていたはずだ。肉食禁止令は仏教の不殺生戒に基づいて作られたものではなかったが、発令後、国家の後押しもあって仏教が普及すると不殺生戒の影響を受け、農耕期間に限らず死肉は不浄であると認識されるようになったと考えられる。

 

 穢れ観の肥大化については、中村の考察が的を射ていると思われる。中村によれば、平安時代になると王侯貴族の最大関心事は触穢となり、動物や人間の死体が発する穢れにのみ関心がそそがれ、殺生は問題とされなくなった▼[17] 。肉食の禁止は、「動物殺しとの関連で見られるよりも、肉食の行為が引き起こす穢れの問題に沿って理解されていった」▼[18] 。そのため「殺生という行為やその語のもつ喚起力は、そののち日本の宗教世界で中心課題となることはな」▼[19] かったという。

 殺生の問題が穢れの問題に覆い隠され、思索の対象とされなかったことは、日本思想史の特徴と言えるだろう。日本人は肉を食べなかったと言っても、慈悲の心や厳格な禁欲の意志をもって肉食を断っていたのではなく、単に穢れ観の発達によって肉食の風習がなくなり、殺生肉食について意識することがないだけだったのだ。

 

 肉食を穢れと見なす社会通念は、明治時代まで受け継がれていった。原田は、近世を「古代国家による肉食の禁忌が、もっとも完成に近づいた時代」と称し、「肉を食べると目が見えなくなる、鼻や口が曲がるなどといった俗信が、社会の隅々にまで広まった」と記している▼[20]

 

 

 

 

 

 

 

 

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―― 【 目 次 】 ――

 

要約

 

   
第一章 屠畜を経験しなかった日本
  第一節 肉食禁止令の真意
  第二節 穢れ観の肥大化  現在地
 

第三節 文明開化と畜産業の開始

 

第二章 殺生と向き合う思想の欠如
  第一節 「かわいそう」との出会い
  第二節 西洋における屠畜の正当化
 

第三節 仏にもすがれない

 

第三章 殺生それ自体が残酷であるという意識
  第一節 日本と西洋の動物観の違い
  第二節 菜食主義に「偽善」を感じる日本人
  第三節 アニミズムと如来蔵思想
 

第四節 肉も野菜も食べ続ける

 

第四章 現代日本人は「食」とどう向き合うか
  第一節 無意識の殺生から自覚的な殺生へ
  第二節 人間、動物、植物を同じ次元に置く
 

第三節 罪悪感の正体

 

 
参考文献  
謝辞  
   
資料1 ネット上での菜食主義議論
資料2 質疑応答(口頭試問)
 
 

 

 

【脚注】  ▲[番号]をクリックすると元の場所に戻ります。

 

 

▲[14] 中村生雄『日本人の宗教と動物観―殺生と肉食―』吉川弘文館,2010年,p.55

 

▲[15] インド仏教ではすべての肉食が禁じられていたわけではなく、自分が食べるために殺された動物の肉でなければ、食べてもよい浄肉であると考えられていた。しかし中国では浄肉と不浄肉を区別する考え方が批判された。そのため、中国を経由して日本に伝来した仏教は、肉食を全面的に罪悪視するものとなっていた。

 

▲[16] 原田信男『日本の食はどう変わってきたか 神の食事から魚肉ソーセージまで』角川学芸出版,2013年,p.60

 

▲[17] 中村生雄『日本人の宗教と動物観―殺生と肉食―』吉川弘文館,2010年,pp.56-57

 

▲[18] 同上,p.57

 

▲[19] 同上,p.58

 

▲[20] 原田信男『日本の食はどう変わってきたか 神の食事から魚肉ソーセージまで』角川学芸出版,2013年,p.145

 

 

 

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