卒業論文 日本人の「食」の思想
資料2
主査、副査、それ以外の倫理学の先生、合計4名の先生との質疑応答の内容です。
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Q.あなたの意見は論理的ではあるが、弱肉強食だからと言って人間が動植物を好き勝手に利用していいとは思えない。宗教の倫理観は必要なものだと思う。
A.結にも少し書きましたが、私も動植物を殺しまくっていいと思っているわけではありません。絶対的な(一神教的な神の)善悪の有無の問題、あるいは宗教の教義的な善悪の問題は別としても、それでは人間が幸せになれないと思うからです。人間は高い共感能力を持つので、動植物を虐げているような自分を好きになれないと思います。 (関連記事:暴力を振るう者は幸せになれない)
ですから、できるだけ犠牲が少なくて済むようにするというのは、人間の永遠の課題になっていくと思います。
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Q.動物と植物は、生物学的にはどちらも生物だというのは分かるけど、どうしても感覚的には別のものだと思う。
A.動物と植物をどう捉えるかというのは、本当に個人差が大きい問題です。菜食主義についての論争というのも、動物と植物は区別するのが自然だと考える人と、動物と植物は本質的に同じものであると考えるのが自然だという人との、感性的なすれ違いの問題という面があります。動物と植物を区別するのもしないのも、どちらも感覚的なものだから、議論が平行線を辿ってしまうのです。
ただ、最近の傾向からすると、今後は植物も動物と同じ生命として平等に扱おうという流れになっていくと思われます。白人だけでなく黒人にも人権が、男性だけでなく女性にも人権が……という風に、権利の範囲はだんだん広がり、最近は動物の権利(アニマルライツ)が論題となっていますよね。では次は? 次は植物の権利の番だ、と予想するのはそう突飛なことではありません。
これからの世代が動植物をどう捉えるか。今がちょうど転換期なのかも知れません。それがいいか悪いかは、ここでは論じませんが。
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Q.生き物を殺したら駄目だという意識は、やはり仏教の影響が大きいんですね。仏教の影響をほとんど受けていない若い世代は、自分とは全然違う新人類だと思っています。ネットの話を引き合いに出していたけれども、正直私には共感できませんでした。
A.確かにこれは若い世代に寄った論文です。この論文は、仏教の加護を得られないこれからの世代の人々がどう考えていくか、ということを問題意識として書きました。
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Q.仏教伝来以前の日本の思想はどうなったんですか? 今でも何らかの形で残っているの?
A.本文中にも書きましたが、アニミズムは昔から今までずっとあります。植物も動物と命だという意識も、それに端を発すると考えています。
Q.アニミズムだと、すべてのものは生きてるんだよね。その時(仏教伝来以前)「食」の問題はどう考えられていたの?
A.仏教伝来以前は、「食べること、殺すことは悪いこと」という考え方はなかったと思います。
これは、引用できる文献が見つからなかったので私の個人的な想像なんですけど、命を食べるという行為は命を破壊するものではなくて、自分の中に命を取り入れるようなイメージだったのではないかと思うんです。つまり、円環的・循環的な生命観を持っていたのではないかと。それが、仏教の如来蔵思想や不殺生戒が入ってきて、命は食べられたら壊れてしまうものというイメージに変わったのではないでしょうか。仏教で「殺してはいけない」というのは、「殺したら仏性が損なわれるから」ですからね。もし食べても仏性が壊れないなら、そんなに厳しく戒める必要はないわけですから。日本の純粋なアニミズムと仏教の間には、「生命の霊的な価値は食べられた後どうなるか」という点について違いがあったのだと思います。
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Q.ピーター・シンガーは読みましたか? 読んでいれば、もっと立体的に論を展開できたと思いますよ。
A.ピーター・シンガーについては、授業で聞いたことはありますが、時間がなくて読めませんでした。(一応主査の先生とは、あまり海外のことや菜食主義、動物の権利の方に手を広げると主旨から外れてしまい、収拾がつかなくなるので、今回はやめておこうという話になっていました。が、確かに『動物の権利』は必読書だと思います。読んでいなくてすみません)
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最後に補足となりますが、私たちの世代と先生方の世代で生命観(植物をどう見るか)に違いがあるのは、教育の影響が大きいと思います。
石田戢さん(※)は、近年「命を大切にするという観念が肥大化している」と指摘しています。タンポポを摘もうとした女の子に「花を摘んだらかわいそうでしょ」と注意する母親、ザリガニ釣りの催しに対して「釣ったあとどうするのですか」と聞く母親、カナブンにテープをつけて飛ばす実験を残酷だと指摘する投書――かつてなら学びや遊びとして認められていたことが、残酷だと批判されるようになってきています。
生命尊重志向が高まりを見せているということは本文中にも少し書きました。2008年の読売新聞の調査では、「学校では、宗教について、どのようなことを教えるのがよいと思いますか」(複数回答)という質問に対して、7割もの人が「命や自然を尊重する気持ち」と答えました。
動物も植物も殺したら駄目と教えられて、宗教にすがることもできない。若い世代はそういう環境の中で育てられているということを、補足させていただきます。
※石田戢『現代日本人の動物観 動物とのあやしげな関係』ビイング・ネット・プレス,2008年,p63
先生:私も補足しますけど、確かに教育指導要領に生命尊重って書いてあるんですよ。生命それ自体が崇拝の対象になって、アニミズムに戻りつつあるのかも知れません。文部科学省はそういう方向に持っていきたいんでしょうね。
先生:「見えない宗教」が一番怖いよねー(笑)
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―― 【 目 次 】 ――
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要約
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序 | |
第一章 | 屠畜を経験しなかった日本 |
第一節 肉食禁止令の真意 | |
第二節 穢れ観の肥大化 | |
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第二章 | 殺生と向き合う思想の欠如 |
第一節 「かわいそう」との出会い | |
第二節 西洋における屠畜の正当化 | |
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第三章 | 殺生それ自体が残酷であるという意識 |
第一節 日本と西洋の動物観の違い | |
第二節 菜食主義に「偽善」を感じる日本人 | |
第三節 アニミズムと如来蔵思想 | |
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第四章 | 現代日本人は「食」とどう向き合うか |
第一節 無意識の殺生から自覚的な殺生へ | |
第二節 人間、動物、植物を同じ次元に置く | |
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結 | |
参考文献 | |
謝辞 | |
資料1 | ネット上での菜食主義議論 |
資料2 | 質疑応答(口頭試問) ★現在地 |