卒業論文 日本人の「食」の思想
第三章 殺生それ自体が残酷であるという意識
動物であれ植物であれ殺すこと自体が残酷だという意識は、どのようにして形成されたのだろうか。その謎を解く鍵は、アニミズムと如来蔵思想の融合にあると私は考えている。
古代の日本人は、あらゆるものに霊魂が宿っているというアニミズムの世界観の中で生きていた。菱沼勇によれば、「人間の周辺にいる動物はもちろんのこと、木も、草も、石も、泉も、山も、川も、あらゆる自然物は、人間と同じように生命があり、あるいは意識があって生きている」▼[69] と考えられていたほどであった。「動物も植物も同じ命」という認識は、この頃から脈々と受け継がれてきたのだろう。
やがて仏教が伝来し、日本人は如来蔵思想と出会う。如来蔵思想とは、「衆生」に仏性(仏となる素質)が宿っているという考え方のことで、『大般涅槃経』の「一切衆生悉(ことごと)く仏性有り」という一節が有名である。立川武蔵によれば、インド仏教において衆生とは人間のことであったが、「日本では「衆生」の中に生命あるもののすべて、さらには山川草木(さんせんそうもく)をも含めてしまった」▼[70] という。これは、アニミズム信仰を持つ日本人にとっては、あらゆるものが生きとし生ける「衆生」であったためである。
こうしてアニミズムと如来蔵思想は融合し、人間にも動物にも植物にも無生物にも仏性が宿っているという日本仏教独自の思想が生み出された。
あらゆるものに仏性が宿っているということは、あらゆる命に等しく仏の尊さがあるということである。そのため、殺されるのが動物であれ植物であれ、死に苦痛が伴うのであれ伴わないのであれ、命を奪うこと自体が大切な仏性を損なう悪事であると(教義上は)考えられるようになった。「殺生それ自体が残酷である」という意識は、これを発端としているように思われる。
しかし、中村によれば、「樹木を伐り、草花を刈りとる行為が、仏教の不殺生戒とのかかわりで問題にされた形跡は、少なくとも古代の日本においては存在しない」▼[71] という。植物は動物ほどには同情を引かないという事実は、厳然として存在していたようだ。
第二章第一節で書いた通り、日本人が殺生の残酷さについて考える機会を得たのは最近のことである。そのことを踏まえ、私は現代へと至るまでの日本人の生命観の変遷を次のように推測した。
1.アニミズムにより、動物にも植物にも同質の生命が宿ると考える。
2.アニミズムと如来蔵思想が融合し、命の価値が仏並みに高くなる。また、「殺生それ自体が悪いことである」という意識が生まれる。
3.穢れ観が肥大化し、殺生については長い間問題とされてこなかった。
4.文明開化で屠畜を経験するようになり、動物殺しについて考える機会を得る。
5.動物殺しは残酷だと考えるようになる。
6.植物も同じ命なので、動物殺しが残酷なら植物殺しも残酷だと自然に判断する。
7.菜食主義者を批判するようになる。
現在は、アニミズムの「動物も植物も同じ命」観と、如来蔵思想の「命は尊く殺生は残酷なこと」観が融合した状態で殺生を直視しようとしている時代である。おそらく、一般の日本人がここまで高い意識をもって殺生の問題を考えた時代は他にない。生命尊重志向も高まりを見せており、読売新聞の連続世論調査(2008年)では、「学校では、宗教について、どのようなことを教えるのがよいと思いますか」(複数回答)という質問に対して、「命や自然を尊重する気持ち」と答えた人が70.8%もいた▼[72] 。
日本人は、今まさに、動植物との関わり方について納得のいく答えを見つけようと動き出しているのかも知れない。
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―― 【 目 次 】 ――
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要約
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序 | |
第一章 | 屠畜を経験しなかった日本 |
第一節 肉食禁止令の真意 | |
第二節 穢れ観の肥大化 | |
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第二章 | 殺生と向き合う思想の欠如 |
第一節 「かわいそう」との出会い | |
第二節 西洋における屠畜の正当化 | |
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第三章 | 殺生それ自体が残酷であるという意識 |
第一節 日本と西洋の動物観の違い | |
第二節 菜食主義に「偽善」を感じる日本人 | |
第三節 アニミズムと如来蔵思想 ★現在地 | |
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第四章 | 現代日本人は「食」とどう向き合うか |
第一節 無意識の殺生から自覚的な殺生へ | |
第二節 人間、動物、植物を同じ次元に置く | |
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結 | |
参考文献 | |
謝辞 | |
資料1 | ネット上での菜食主義議論 |
資料2 | 質疑応答(口頭試問) |