卒業論文 日本人の「食」の思想
第四章 現代日本人は「食」とどう向き合うか
人間、動物、植物を同じ次元に置いて考えると、人間の知性は、動物の牙や毒、植物の根や葉、細菌の感染力のようなものである。動物が狩りをするように、植物が太陽の光を浴びるように、細菌が動物の身体を冒すように、人間は他の生物を養殖して食べる。他の生物の生存戦略を罪と思わないのなら、論理的には、人間の生存戦略も罪ではあり得なくなる。
「動物は自分が食べる分以上には取らないが、人間は必要以上に取っているから問題だ」という反論が想定されるが、贅沢は安心・安全・安定を確保するための自然の本能の延長線上にある。熊は産卵のために川を上ってくる鮭を捕まえると、卵が入っている腹だけ食べ、残りは捨てる。これを繰り返す。人間が大量生産・大量消費をするのもそれと同じだと考えられる。
野生動物は、捕食者が餌を取りすぎると餌がなくなって捕食者も減り、捕食者がいなくなって餌が増えてくるとまた捕食者も増えるというサイクルを繰り返している。贅沢をしないのではなく、環境の制約によって贅沢な暮らしを持続できないだけである。人間は強い力を持つ捕食者なので、他の生物には不可能なほどの贅沢を続けているが、他の動物と同じように、限界まで増えたら減るだけだ。
「人間は必要以上に取っているから問題だ」――確かに私も「問題」だと思うが、それは大量生産・大量消費が行き過ぎると食糧難や環境問題で自ら首を絞めることになるというエコロジカルな問題であって、動物と比べて罪深いというような問題ではない。能力の限りよい暮らしをしようとするのは、どの生物も同じことである。植物でさえ、日当たりの良さを求めて周囲の植物と戦い、結果的に競争相手を殺そうとしているのだ。
人間、動物、植物を同じ次元に置く場合、人間は食物連鎖の頂点に立っているからと言って「偉い」わけではない。人間も他の生物と同様に、生態系の中で他者の生命に頼りながら生きているにすぎず、決して超越的な存在にはなっていない。
人間を「偉い」と思うことが高慢であるなら、人間の行う殺生だけを「悪い」と考えるのも同じく高慢な行為と言える。大人と子供、上司と部下のように、責任の重い者の方が上位の存在であると考えられるので、「人間には知性があるから責任がある」という考え方は自らを特権的な次元に置くものだからだ。
よって、「殺されるもののことを考えられるだけの知性があるのだから殺生をしてはいけない度合いも高い」という考え方はできない。それを言った瞬間、知性>肉体、人間>動物のヒエラルキーを自ら築くことになり、菜食主義批判者があれほど嫌っていた「差別」になってしまう。他の生物が行う殺生を悪だと思わないのなら、人間の行う殺生も悪ではないと考えなければならない。
横浜屠場労働組合の笹生(さそう)克彦書記長(1998年当時)は、次のように語る。
横浜屠場労組では、『殺生戒』や『穢れ観』をもっての「生き物を殺すことはひどいこと」との価値観こそが、誤っていること、それこそが、私たちへの差別に連なるものであることを明らかにし、闘い抜いています。
そもそも、「生き物を殺してはいけない」などとの価値観は成立するのでしょうか。すべての動物は、人間もふくめ、他の生き物を殺して食べたり、寄生したりして、利用して生きているのであり、それはきわめて、自然の営みなのです。▼[75]
「生き物を殺すことは悪いことである」という価値観は、不殺生戒や穢れ観を持ち出さない限り成立しないという、鋭い指摘である。
第三章第二節でも書いたように、「残酷に感じられる度合い」と「残酷さの度合い(罪の重さ)」は関係がない。少なくとも、菜食主義にアレルギー反応を起こす日本人はそう考えている。その考えに則れば、人間の幸福のために大量の動植物を殺すことは、例えいくら残酷に感じられるとしても、本当は酷いこと、悪いことではないということになる。
しかし、それで罪悪感がなくなるわけではない。「残酷に感じられる度合い」と「罪の重さ」が関係ないからこそ、「罪はない」と分かっても「残酷に感じられる度合い」は変わらない。人は何故、罪悪でないことにまで罪悪感を感じてしまうのだろうか。
【注意!】
専門家でも何でもない、一介の大学生の卒業論文です。
この論文を「参考文献」にしたり「引用元」にしたりしても、あなたの論文の信頼性を高めることはできません。ご注意ください。
ただ、引用元や参考文献一覧を見れば、参考になる情報が見つかるかも知れません。
論文の内容に関するご質問にはお応えできません。ご了承ください。
―― 【 目 次 】 ――
|
|
要約
|
|
序 | |
第一章 | 屠畜を経験しなかった日本 |
第一節 肉食禁止令の真意 | |
第二節 穢れ観の肥大化 | |
|
|
第二章 | 殺生と向き合う思想の欠如 |
第一節 「かわいそう」との出会い | |
第二節 西洋における屠畜の正当化 | |
|
|
第三章 | 殺生それ自体が残酷であるという意識 |
第一節 日本と西洋の動物観の違い | |
第二節 菜食主義に「偽善」を感じる日本人 | |
第三節 アニミズムと如来蔵思想 | |
|
|
第四章 | 現代日本人は「食」とどう向き合うか |
第一節 無意識の殺生から自覚的な殺生へ | |
第二節 人間、動物、植物を同じ次元に置く ★現在地 | |
|
|
結 | |
参考文献 | |
謝辞 | |
資料1 | ネット上での菜食主義議論 |
資料2 | 質疑応答(口頭試問) |