卒業論文 日本人の「食」の思想
第三章 殺生それ自体が残酷であるという意識
世の中には、動物を殺して食べるのがかわいそうだという理由から菜食主義を実践している人がいる▼[61] 。しかし多くの日本人は菜食主義に否定的である。
大手検索エンジンGoogleの検索窓には「Googleサジェスト」という機能がある。これは、検索ワードを入力する途中でも、検索しようとしている文字列を予測して候補を提示するというものだ。検索ワード候補を見れば、普段どのような言葉が多くの人に検索されているのかを知ることもできる。検索窓に「ベジタリアン 植物 」まで入力すると、検索ワード候補は図2(次頁)のように表示された。
図2(2013年12月18日現在のGoogle検索)
このように予測が出るということは、多くの人が菜食主義に対して「植物だって生きているのに、殺しても悪いと思わないのか」という疑念を抱き、検索をしているということを示している。そして実際に検索してみると、ネット掲示板、Q&A投稿サイト、ブログなどで一般人による議論が行われている。
欧米では社会的認知度の高い菜食主義だが、日本では普及しないばかりか、しばしば偽善者扱いされて罵られているのを目にする。まるで、菜食主義に対してアレルギーを起こしているかのようである。
日本人の菜食主義嫌いについて、中村は次のように述べている。
日本人の多くが共有する感覚からすると、彼らベジタリアンは、動物を殺して食べる残酷さや非道徳性からまぬかれることを声高にとなえながら、植物を殺して食べることに口をぬぐっているという〝胡散臭さ〟が消えないのであろう。動物も植物も同様に〝いのち〟をもった存在であるにもかかわらず、それを人間の側の勝手な尺度によって線引きすることに傲慢さを感じとるのだといってもいい。▼[62]
「動物も植物も同じ命じゃないか」という批判は、日本で菜食主義について議論すると必ず現れる。1934年に発表された宮沢賢治の『ビヂテリアン大祭』の中でも同様の議論があったことを考えると、その状況は80年前から変わっていないことが分かる。
『ビヂテリアン大祭』の中で交わされた質疑応答の一部を、要約して紹介しよう。
菜食主義への批判:
動物がかわいそうだというが、バクテリアを植物だ、アメーバを動物だとするのは、研究の便宜上名前をつけただけで、実際には動植物はグラデーションのように連続している。動物と植物、有意識と無意識の区別をつけることはできない。命を奪うのがかわいそうだというなら、植物を食べるのもやめて餓死するといい。バクテリアや細菌を殺さないよう、空気を吸うのもやめなさい。
菜食主義者の回答:
連続しているものをすべてひとまとめにすると、赤ん坊と大人も区別しないということになる。食べるのがかわいそうな生物とそうでない生物は、理論ではなく自然に湧き出る感情によって判別される。「われわれは植物を食べるときそんなにひどく煩悶しません」▼[63] 。「生れつきバクテリヤについては殺すとかかあいさうだとかあんまりひどく考へない。それでいゝのです」▼[64] 。
菜食主義者と一口に言っても、植物のことをどう捉えているかにはかなり個人差がある。植物には痛覚や意識がないから殺しても問題ないと考える人もいれば、植物にも心があるという説を信じながらも、動物を殺すことの方が残酷であると判断している人もいる。『ビヂテリアン大祭』の菜食主義者の場合は、自然な精神でかわいそうだと思わない生物なら食べてよいという意見であり、植物への同情の度合いが低いことについては「それでいいのです」と認めている▼[65] 。
しかし、菜食主義を批判する日本人にとっては「それではよくない」ようだ。
自分がかわいそうだと思う生き物だけ贔屓し、それ以外の生き物は「食べなければ死んでしまうから仕方ない」と言って貪り食いながら、あたかも慈悲深い善人であるかのような面持ちで「殺される動物の苦しみを思えばそんな残酷なことはできないはずです」と肉食者を諭す、あるいは非難する▼[66] 。そのような菜食主義者の態度を、批判者は「差別主義」と呼ぶ。
注目すべきは、批判者が問題とするのは植物に同情しないことそれ自体ではなく、同情しないことを理由に差別をすることであるという点である。批判者自身、必ずしも植物に対して動物に感じるのと同じ程度の同情を抱いているわけではない。だが、「同情する度合いは違っても、動物と植物はどちらも同じ生命だ」という意識が非常に強いのだ。
「動物がかわいそうだと言うなら植物も食べるな。そもそも植物を育てるにもたくさんの虫を殺しているのに、植物や虫の命については何とも思わず平気で植物を食べるのか。薬も動物実験の恩恵を受けているから使うな。それができないなら偽善だ」――そういった批判に対して菜食主義者は、「All or nothing」(完璧にできないなら何もしない)の考え方で肉食を続ける人を批判し、自分たちは「Better than nothing」(何もやらないよりは少しでもやった方がいい)の精神で菜食をしていると答える▼[67] 。
しかし、菜食主義を差別主義であると批判する日本人は、菜食主義者とは違う「Better」を思い描いているようである。次の表は、両者の考える「ましな生き方」と「批判すべき生き方」について、私の所見をまとめたものである。
ましな生き方(Better) | 批判すべき生き方 | |
菜食主義者 |
菜食をしても他者の命を奪うことに変わりはないが、 動物を食べるよりは、残酷さの度合いが低い菜食を した方がよい。
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植物を食べるのだから
動物も食べていいと |
批判者 |
動物を食べようが植物を食べようが等しく殺生が つきまとうのだから、殺生に加えて差別までする 菜食よりは、動植物を差別せずに食べる方がましだ。
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殺生に加えて |
この「Better」のすれ違いにより、菜食主義者とそうでない日本人の議論は平行線を辿っている。批判者からすれば、植物殺しの方が「残酷に感じられる度合い」は低くても、「残酷さの度合い(罪の重さ)」は動物殺しと同じであり▼[68] 、菜食主義者に肉食者を悪人呼ばわりする資格はない。むしろ植物の命を軽んじている菜食主義者の方こそ過ちを犯している、ということになる。
菜食主義者が偽善と言われないためには、「All」(何も殺さない)を実行して死ぬか、正義ではなく自分が傷つきたくないという自己愛のために菜食しているにすぎないと認めるか、どちらかしかないように思われる。
日本人は動物を殺すことについて、苦痛を与えるかどうかにかかわらず、殺すこと自体が残酷だと考えた。
それなら、植物を殺すことについても同じことが言えないだろうか。植物に痛覚があるかどうかにかかわらず、殺すこと自体が残酷であると。
同情のしやすさは違っても、殺すことについての「悪さ」は動物も植物も変わらない。それが菜食主義を批判する日本人の生命観であった。
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―― 【 目 次 】 ――
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要約
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序 | |
第一章 | 屠畜を経験しなかった日本 |
第一節 肉食禁止令の真意 | |
第二節 穢れ観の肥大化 | |
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第二章 | 殺生と向き合う思想の欠如 |
第一節 「かわいそう」との出会い | |
第二節 西洋における屠畜の正当化 | |
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第三章 | 殺生それ自体が残酷であるという意識 |
第一節 日本と西洋の動物観の違い | |
第二節 菜食主義に「偽善」を感じる日本人 ★現在地 | |
第三節 アニミズムと如来蔵思想 | |
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第四章 | 現代日本人は「食」とどう向き合うか |
第一節 無意識の殺生から自覚的な殺生へ | |
第二節 人間、動物、植物を同じ次元に置く | |
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結 | |
参考文献 | |
謝辞 | |
資料1 | ネット上での菜食主義議論 |
資料2 | 質疑応答(口頭試問) |
【脚注】 ▲[番号]をクリックすると元の場所に戻ります。
▲[61] 菜食主義にも様々な種類があり、菜食の目的と食用を認める範囲には違いがある。動物愛護のために菜食をする人の他には、健康のために菜食をする人や、環境問題・食料問題への対策としてコストの高い牧畜をやめるべきだと考える人がいる。本節では、動物がかわいそうだという理由で菜食をしている人への日本人の反発を取り扱うので、菜食主義と書く時は断りがない限り動物愛護のための菜食主義を指す。
▲[62] 中村生雄『日本人の宗教と動物観―殺生と肉食―』吉川弘文館,2010年,pp.4-5
▲[63] 宮沢賢治「ビヂテリアン大祭」『【新】校本宮澤賢治全集 第九巻 童話Ⅱ 本文篇』筑摩書房,1995年,p.232
▲[64] 同上,p.232
▲[65] ただし、登場人物の考えが必ずしも作者の考えと一致するとは限らないということには、留意しておくべきである。
▲[66] もちろん、このイメージがすべての菜食主義者に当てはまるわけではない。議論や主張の場に現れる菜食主義者は、必然的に、菜食主義の正当性を分かってもらいたい、肉食者を論破したいと考える人ばかりになるため、ネット掲示板では「菜食主義者は上から目線で自分の『正義』を押しつけてくる」というイメージが生まれている。
▲[67] 「All or nothing」「Better than nothing」という言葉は次のサイトで見つけたものである。分かりやすい表現だったので借用した。
菜食のススメ「F&Q」(最終閲覧日:2013年12月19日)
http://saisyoku.com/
▲[68] 動物殺しも植物殺しも罪ではないという意見もある。